「ようこそお越しくださいました」
年配の着物を着た女性―女将さん―が玄関先で膝をつき、美しい動作で出迎えた。
気後れしそうな私を他所に、隣にいる悠もお世話になりますと、見本のようなお辞儀をしているし。
慌てて彼に習うと、女将さんはまあまあと微笑ましいものを見るような表情で笑みを深めた。
そうだ温泉に行こう!と某キャッチフレーズをパクって切り出したのは私。
偶然テレビで見かけた旅館が素敵だったのと、2人で旅行に行ったことがなかったし。
高校を卒業し、大学生という身分になったからといってまだまだ養ってもらっている身。
学生にポンと出せる金額の相場でもなく。
もうちょっと大人になってからにしよっか、と笑う私に悠は真面目な表情で一言。
「うん、行こう」
「え?で、でもすっごく高いよ?」
「どうにかなるよ」
有名国立大学に通う悠は、いくつか家庭教師を掛け持ちしてる。
分かりやすいのはもちろん、その容姿とコミュニケーション能力の高さから保護者からの信用も厚い。
人気家庭教師は相場も、もちろん良い。
当の本人は、教えるのが楽しいと娯楽のようにしか捕らえてないけど。
それでけではなく、人間性がチートの彼はサークルやらも掛け持ちして、色々なところに顔を出している。
優秀故先輩はもちろん、教授からも一目置かれている悠は忙しい。
とにかく忙しく、けれど私との連絡もマメにしてくれて、寂しい想いはしたことがない。
一体何時寝ているのかと尋ねたくなるほど、多忙な身だ。
素敵な落ち着いた旅館で、おいしいものを食べて、温泉につかってほしい。
「うん・・・どうにかしてみせる!」
ポカンとする悠を他所に意を決した私は、バイトの掛け持ちを始めた。
無理をせず、成績は落とさないという約束の元、とにかく頑張った。
努力の結果こうして2人きりで、初めての旅行に来られたのは嬉しいことだけど。
やっぱり場違いかも!
2〜3組のお客さんとすれ違ったが、自分達の親世代の夫婦らしき人たちで。
私たちのように若いカップルではない。
気後れする私をよそに、悠はというとすでに浴衣に着替え、ゆったりと椅子に腰をかけ優雅にお茶なんか飲んでいる。
というかいつの間に着替えたんだ。
コートも脱がず突っ立ったままの私に気づいた悠は、肩を竦める。
「そんな緊張しなくても」
「いやいや、緊張しないほうが可笑しいよ。私庶民ですから」
「俺だってそうだよ。とにかく、着替えたら?浴衣になると温泉気分が味わえるぞ」
何なら手伝おうか?とウィンクをよこす悠に花村くんの影を見た。
正直に伝えると、気をつけると真面目な表情で頷いて、露天風呂の様子を伺いにベランダへ出て行った。
コートをハンガーにかけながら、温泉に来た当初の目的を思い返す。
日々忙しい悠にゆっくり休んでもらいたい、2人きりで過ごしたいというのは私の我がままが入ってるけど。
癒し目的のはずだ。断じて・・・・・その、そういうことが目的ではないけど、やっぱり意識してしまう!
そりゃあ付き合って2年経とうとしてますから、エッチの経験がないわけじゃない。
ないわけじゃないけど、気恥ずかしさやら緊張はいつまでたっても取れないもので。
だ、だって!あの顔であの声で熱っぽく迫られたら・・・・心臓爆ぜない方がおかしいです。
浴衣に袖を通し、煩悩を追い出そうと深いため息をついた時だった。
「」
まさにその時の甘い声色で、耳元で囁かれたら腰が砕けそうに・・・はあるけど、それ以前に驚くのが当然の反応だろう。
うわぁと可愛らしい声が出ないのはお約束。ひらりと肌蹴そうになる浴衣を押さえるのに手一杯。
何でこのタイミングで声かけるのとか、何時の間に戻ってきたのとか、聞きたいことは山ほどありすぎて言葉は纏まらず。
「とりあえず風呂入ろう。の手だって、すごく冷たい」
前が開かないように浴衣を押さえている手に重ね、笑い声を含ませながら言う。
彼は気づいているのだろうか、後ろから抱き込むような体勢になっていることに。
いいや気づいてないわけがない、意図して最中を思い出させるような声色で喋っているのだから。
勝手に火照る頬が悔しくて、でも悠はかっこいいし!
うーっと唸るしかない私に悠は待ってる、と言い残し先にお風呂へ。
断るタイミングも与えないのは流石というか・・・こういうところでチートを最大に生かしてくるから末恐ろしい。
このまま放っておくのも一つの手だと思うけど、やましいことを意識してるみたいで・・・癪だ。
それに悠と2人きりで過ごしたくて、ここまできたんだし。
意識しない、意識しないと幾度も言い聞かせ、羽織と帯を脱衣所まで持ちタオルを巻いて外へ。
「さっむい!」
季節は冬。それも雪深い山奥に来ているのだから、当然のこと。改めて口にするまでもないが、けど寒いものは寒い。
寒いを連呼しつつ、係り湯を済ませタオルを素早くとって、湯船へ。
湯煙と乳白色のお湯であまり見えないのが幸いというべきか。
それでも体のラインは見えるし、悠の引き締まった体は中々に目の毒で、さっと赤くなる頬はお湯のせいにして、少しでも彼と距離を置こうとすれば。
「そんな遠くいってどうすんの」
「え?いや、わざわざくっつく意味も・・・」
「2人きりなんだからさ、甘えてもいいだろ?」
そう言うと、腕をひいてあっという間に腕の中へ閉じ込められてしまった。
首筋にかかる息がくすぐったくて、身をよじる。
「、緊張しない。もたれていいから」
抱き寄せられたいいが、少しでも体が触れないようにと、背筋をピンと伸ばしていたのがお気に召さないようで。
お腹に手がまわり、胸板を背もたれに体がピッタリ密着した。
ひゃっ、と先ほどとは打って変わって可愛らしい声に、本人も驚いて口を押さえる。
「ってば、相変わらず可愛い声出すな」
「え、えっとこれは不可抗力ってやつで!」
「とりあえず、今はあんま出さないで。我慢できなくなるし、俺以外に聞かせたくないから」
それとも?そう言いながら、悠が私の肩に手を回し、向かい合うように反転させる。
湯煙の中でもはっきりと見えるアイアンブルーの瞳、その目が私だけに向けてられると感じるだけで酷く幸せを感じる私はおかしいだろうか?
ドキドキと高鳴る胸を押さえながら、双眸を受け止めているとふと距離が一気に縮まった。
唇に熱が与えられ、ちゅっと可愛らしい音を立てて離れ、その形良い唇が言葉を象る。
「我慢やめていい?とりあえず、キスマークつけさせて」
その甘い声にほだされて、危うく頷いてしまうところだった!
大浴場も自慢なのだと言っていた女将さんの言葉を思い出し、なんとか理性をかき集め、断固として首は縦に振らなくてすんだが。
どうやらキスマークつけるのは我慢してたらしい、私が困ると思って。
その配慮も吹っ飛ばしそうになるなんて、悠らしくない。そう告げると。
「だっては、大好きで可愛い俺の彼女だから」
思わずキスをしてしまって、逆に食べられそうになったのは言うまでもない。
愛しい君と
(2013.02.24 Thank you for 30000hit!!)