仕事に戻った二人と別れた後、は帰宅すべくホームで電車を待っていた。
いつもより1時間程遅れ、ラッシュ時間に近づいているためか、人で溢れている。
ラッシュ時と比べるとまだマシといえる状況だが、十分満員電車といえる乗車率になるだろう。


満員電車で、一度痴漢らしきモノ―にはお尻や腰に”何かが触れる”回数が多いという認識で
それを痴漢だと憤慨しながら教えたのは臨也―に遭遇してからというもの、ラッシュ時間はなるべく避けてきたのだ。


いざとなったら、臨也さんに貰った”アレ”使えばいいし。
警告音とアナウンスがごちゃ混ぜになり響くと同時に、電車がホームに滑り込む。
扉が開くと同時に、人が雪崩れ込むように下車し、押しつぶされそうになりながら、も流れに乗り乗車する。


同時刻、紀田君と竜ヶ峰君、そしてクラスメイトの女の子、ダラーズを名乗る数人のカラーギャング
そこには何故か新宿の情報屋がいて、それを見て激昂し、彼を抹殺しようとした喧嘩人形が自動販売機を投げ
それを受け止めた露西亜寿司の巨漢店員と取っ組み合いになり・・・・・・・・


なんとも芋ズル式な揉め事が起こったのは、帰宅後臨也さんから聴いた話。







美少女と記憶の人




うっとおしい。
異常に高い乗車率はその一言に尽きる。
やっぱりもう少し時間遅らせればよかった。今更言っても後の祭りだが。
時間帯的にスーツを着たサラリーマンより、学生服が目立ち、狭いながらも楽しそうに談笑しているのが目に入る。
そんな日常の風景を眺めていると、ふとある女の子に目を奪われた。


ヨーロッパ系とのハーフだろうか、銀糸の髪はを美しく光を放ち、瞳は深い海のような青色をたたえている。
おとぎの国からそのまま飛び出してきたと言っても過言ではないような、儚い雰囲気の美少女だが、どこか様子が可笑しい。
その瞳は不安げに揺れ、時々何かに耐えるようにぎゅっと目をつむっている。
ラッシュ時ということもあり、人ごみに紛れよく見えないのだが、彼女は小さな体を更に小さくし、何かに怯えているように見える。
4月初日で、まだ寒さが残っているとはいえ、彼女が寒さから震えているようには到底見えない。


人が犇めき合っている中、は少しずつ体をずらす。
周囲の人間が迷惑そうに自分に視線を送るので、一応視線で謝り、問題の美少女の周囲に視線を巡らせた。
何か変わったことはないか、見定めるために・・・・自分の予想が正しければ、彼女は恐らく・・・


そしてはすぐに、彼女が震える原因を見つけた。集団痴漢だ。


『新宿ー新宿ー』


と同時に車掌のアナウンスが入り、開くドアへ人の波ができる中、はその流れに逆らい美少女の下に向かう。
保護者が護身用に持ち歩けと、無理やり持たされたスタンガンを取り出すと、戸惑いなく男達に押し付け
呆然としている美少女の手を掴み、騒ぎになる前に車内から降り、美少女の手を取ったまま、一直線に改札口を目指した。




****




改札口を抜けたところで、は足をとめ、引っ張り続けていた美少女に向き合った。


「大丈夫?」


お決まりの台詞だが、これ以上かける言葉も見当たらない。
すると、美少女はを見上げ、みるみる内に深海の色をした瞳は涙で一杯にし、それを決壊させた。
整った顔をくしゃくしゃに歪め、嗚咽を漏らし泣きじゃくっている。
安堵と恐怖で軽くパニックを起こしているのだろう・・・無理もない。
が、半端じゃなく目立っている。道行く人たちからチラチラと視線を投げかけられるのは気持ちの良いものではない。


「えーっと、ちょっと移動していいかな?」


しゃっくりをあげている彼女に、視線が痛い事を何となく知らせると、彼女も頷いたので人の流れが少ない場所に移動する。
美少女にハンカチを渡すと、ありがとうございますと泣いている割にはしっかりとした声色に安堵し、が立ち上がる。
と同時に少女がとても不安げな顔をしたので、慌ててすぐ近くの自販機を指差した。


「飲み物買ってくるから、ちょっと待ってて」


相変わらず不安げな顔だったが、強張りが取れたので行ってもいいということなのだろう。
鞄から財布を抜き取り、駆け足で自販機に向かい、あったかいの欄にあるココアのボタンを押す。
少し熱い缶を握りながら、少女が纏っていた制服を思い出し、は眉を顰めた。
氷帝学園中等部の女子制服に間違いない。エンブレムも、指定鞄も間違えるはずがない。


かつて自分が2年間通っていた学校だったからだ。
微かに震えだした手をぎゅっと握り、落ち着くよう言い聞かすと、何事もなかったかのように少女の下に戻った。




****




「それで?大衆の面前でスタンガン使った挙句、帰りたくないって言うから連れてきちゃったの?」


珍しく保護者の役割を担っている、と他人事のように思っていると、臨也さんの表情が益々曇る。


ちゃん、聞いてるの?」
「は、はい!すみません・・・・」


どこか様子が可笑しいに眉を顰めながらも、ドアの向こうにいる美少女―亜梨栖ちゃんを見て再度ため息をついた。


「時間も遅くなってきてるけど・・・亜梨栖ちゃんの親御さんはこのこと知ってるの?」
「いいえ。喧嘩して飛び出したから帰りたくない。って」
「思春期特有の可愛い反抗だねぇ・・・にしても」


臨也がに体を向けた瞬間、思いの他強い力で引き寄せられ、は強かに自分の鼻を臨也の胸ぶつけた。
ぶふっと妙な音がし、が痛がっているにも関わらず臨也は離そうとしない。むしろより強く抱きしめられている。


「あ、あの・・・臨也さん?苦しいです」
「無茶した罰だよ・・・・怪我がなくて本当によかった」


安堵したように言う臨也に、はようやく心配されていることに気がつき、少し罪悪感に見舞われた。
亜梨栖ちゃんが痴漢にあっていると分かった時、頭で考えるよりも先にスタンガンを出し、押し付けていた。
許せなかった。どうしても彼らが許せなかった。弱い者をねじ伏せ、心身ともに暴力を振るうなど。


正義感が強いということではない。ただ単に、昔の自分を見ているようで怖くなっただけだ。
それを早く目の前から消したくて、亜梨栖ちゃんを助けた。自分が楽になりたいから、助けただけなのだ。


「また傷ついた顔してる」


いつの間にか肩口に埋めていた顔を上げ、臨也さんが私を見る。
その赤黒い瞳に、しかめっ面をした自分が映ることに耐え切れなくなり、は視線を逸らす。
助けたことで楽になったはずなのに、それと同時に思い出さなくていいことまで思い出して自己嫌悪。


「弱いんです。私は」
「君はとても弱いし傷つきやすい。だから甘えろって言ってるだろう?」
「ダメ、です」


グイと力を込めて臨也を押し返すと、彼は素直に離れ本日何度目か分からないため息をつき、彼女の頭をガシガシと撫でた。


「ちょ、何するんですか!」


臨也の手によってぐちゃぐちゃになった髪型を整えていると、インターフォンの電子音が鳴り響いた。
このマンションはオートロックだから、玄関先に来ているわけじゃないが、夜遅くに一体誰だろう?
リビングにいた亜梨栖ちゃんも、少し不安げな表情でこちらを見ている。
彼女を安心させるように微笑むと同時に臨也さんが受話器を取る。


コンマ0.1秒もかからず映し出された映像に私は息を呑んだ。
亜梨栖ちゃんと同じ銀糸の髪、深海のような瞳、鼻梁の通った端正な顔立ち。
心を見透かすような、コチラが目を逸らしたくなるような鋭い眼。


『俺は人形と話すほど、ガキじゃねーんだ』


「あと「お兄ちゃん!」


私の言葉を掻き消す様に、思わずという風に亜梨栖ちゃんが叫ぶ。
彼女の様子からして、彼女が呼んだはずはないし、臨也さんは私と話していたため、呼べる暇もなかった。


「携帯の電源も切ってたのに、どうして・・・」


十中八九発信機だろう。私も臨也さんに仕掛けられて、見つけては取り外している。
携帯についているストラップか、指定鞄につけているキーホルダーか、それとも服自体か。
いずれにせよ、そこまで大事にしたいという気持ちの表れなのかもしれない。やり方は少々過激だが。


「妹と一緒に。ええ、いますよ。はい、どうぞ」


そしていとも簡単に、臨也は開場のボタンを押してしまった。
さっと青ざめた亜梨栖ちゃんを見やり、臨也さんと咎めるように名前を呼ぶ。


「一度顔だけ見せてあげな。お兄さんも状況が掴めてなくて、相当焦ってた。
俺、亜梨栖ちゃんに如何わしいことしようとしてるって思われてるみたいだし。その誤解も解きたいじゃない?」


珍しく臨也さんがまともなこと言ってる!
ちょっと感動していたら、亜梨栖ちゃんが肩を落とし、ご迷惑をお掛けしてすみません。とうな垂れた。
それを見た臨也は、フムと思案するように顎に手を添える。


「亜梨栖ちゃん、家に帰りたい?」


今一度、確認するように臨也が問うと彼女は頑なに首を横にふる。


「なら泊まっていきなよ。色々あって疲れたろう?お兄さんには上手く言ってあげるし」
「え・・・で、でもお兄ちゃんがそこまで!」
「大丈夫。口から生まれたっていう位、臨也さんは口がうまいから!」
「あえて褒め言葉として受け取っておくよ?」


臨也から睨まれると同時に、2度目のチャイムが鳴り響く。今度は玄関先まで来ている方の電子音だ。
ゴクリと息を呑んだ亜梨栖ちゃんをよそ目に、玄関に向かう臨也さんに私も続く。
リビングのドアを閉めると同時に、臨也さんが確認するよう私に問う。


「交渉しやすいようにいてくれるのは構わないけど・・・・いいんだね?」


その確認に含まれた質問を理解した上で、が首を縦に振ると臨也は分かった。
とだけ言い、玄関チェーンを解除し、鍵を開けた。
その数秒の動作が、2分にも3分にも長く長く感じられた。


扉に立っていたのは、モニターに映っていた氷帝学園高等部の制服を纏った美丈夫の青年。


「初めまして、跡部と申します。妹の亜梨栖が大変お世話に・・・・?」


礼をした後、頭を上げると同時に跡部くんと目が合い、彼の瞳はこれでもかという程開かれた。
憶えていなければその方がよかった。だが、そう都合よくいくものではない。
は手の震えを無視し、笑み(臨也さんに言わせれば、無理やり貼り付けた笑みだったらしい)を浮かべた。


「今は折原だよ。久しぶり、跡部くん」


2年ぶりに再会した彼は、以前より大人び、そして相変わらず自信に溢れていた。

















(2011.02.02)