「いってきます!」
「ああ、気をつけてな」
銀糸のように美しい髪をバッサリと肩口まで切り、バラ色の頬と唇は片方が腫れ、痛々しい様子を残している。
車のドア越しにそれを触ると、亜梨栖は気まずそうに肩を竦める。
「痛いのは私だよ、お兄ちゃん?」
だからそんな顔しないで。口には出さなかったものの、そう言われたも同じだ。
ああ、と気のない返事をすると亜梨栖が頬にキスを落とし、自身の頬も差し出したので、キスを落としてやる。
「今日もご飯、一緒に食べようね」
待ってるから!と告げると亜梨栖は踵を返し、一目散に駆け出し、その背はどんどん小さくなる。
その姿を見送り、車を出すよう運転手に命じた。
危険分子と漂う影
『私、もう頑張れない!』
帰ってくるなり、亜梨栖はそう叫び、今までに溜めに溜めていたであろう不満、不安、我儘等・・・
唖然とする俺や家の者を余所に、爆発という言葉がぴったり合うような、爆発を見せ散々叫んで泣きまくった。
その姿を見ていると、小さい頃の亜梨栖を思い出し、俺はどこで安堵を覚えた。
亜梨栖が無理をしているのは一目瞭然だったが、心配をしても放っておいてとの言葉をかけられるだけ。
俺自身もテニスや家の事で手一杯だったこともある。
そのせいで、俺達の間には溝ができていて・・・両親が近くにいない分、俺が亜梨栖を守らなければと使命感を持っていたものの。
『お兄ちゃんなんて大っきらい!』
たったそれだけに、動けなくなるほど衝撃を受けるとは・・・らしくない。
あいつらが聞いたら笑うだろうな。向日やジロー辺りが”いつも言われてる”なんて言いながら。
「景吾様、亜梨栖様は本当に大丈夫でしょうか?」
「何だ、突然」
運転手の心配そうな視線がミラー越しに届き、跡部もそれに視線を合わせる。
「大事にされていた髪も、お顔もあのように腫らして・・・」
週明けの学校帰り、亜梨栖は顔を腫らし、母が綺麗だと褒める大事な髪をバッサリと切って帰って来た。
使用人たちの動揺といったら・・・今思い出しても笑える。
そういう俺も動揺しまくりだったが。
『陰でコソコソ私の悪口言うから、腹立って・・・・手、出しちゃった』
でもあっちから手出してきたんだし、お相子よね?
手当を受けながら、消毒液が染みたのか痛いと言いながら、スッキリしたように笑う亜梨栖にそれ以上追及しなかった。
翌朝、いつものように学校に行ったが(使用人達は大事をとって!と家に縫いとめる気だったようだがふりきった)
帰宅した俺を待っていたのは、長い髪をばっさり切って頬に湿布を当てた亜梨栖の姿。
年に数度としか会えない母が、美しいと褒めている髪。その笑顔が見たくて、小さい頃から大事にしていたはずだが
『イメチェン!軽くてさっぱりしたよ』
その笑顔に昔の亜梨栖を思い出した。
ここ数年、すっかり影を潜めていたが・・・こいつはジャジャ馬だった。
小さい頃から、俺の後ろをついて回り俺のマネをしては、使用人も俺も困らせていた。
「亜梨栖自身が納得してる。俺達は見守ってやればいい」
「景吾様・・・・!」
人間ってのは年齢を重ねれば重ねるごとに、涙腺が緩くなるらしい。
父親が幼少の頃から、跡部の運転手を務めているらしい運転手は皺の増えた目もとを押さえている。
亜梨栖が自身を偽らず、本来に戻れたことはいい傾向ではあるが、幼少の頃のように手を焼かされるに違いない。
嬉しいような、心配のような・・・・忍足あたりに「これやからロリコンは」と呆れられるな。
口元を釣り上げると同時に、運転手が固い声色で再び俺を呼んだ。
「様と折原様の件ですが」
「!何が分かった?」
「様のことは資料に纏めてございます。が、折原様は・・・」
言いよどむ運転手に、分からなかったのかと尋ねると、そうではございません。と断言する。
なら何がひっかかる?運転手の言葉を待っていると、間をあけて俺に視線を寄こした。
「折原臨也という人物は、その筋では知らないモノがいない程有名な、情報屋です」
「あの歳で、か?」
せいぜい高く見積もっても24、5歳にしか見えない。そんな若い奴が情報屋?
それに折原という性は、が名乗っていたから本名に間違いない。
いや、本当に本名なのか?情報屋なんてあやふやで危ない職に本名をつかうバカがどこにいる?
「・・・景吾様、私は旦那様より伝言を言付かっております」
「親父?!」
何故ここで親父が出てくる?!混乱する俺を余所に、運転手は緊張した面持ちで続ける。
「折原臨也には近づくな、と」
「どういうことだ?」
「あの歳で、本名で”情報屋”をやっているからこそ、軽視できないのです。
粟楠組も得意先だと、それこそ知れ渡った話です・・・・旦那様も折原様にお会いしたことがあると思われます」
「親父が、折原に?」
「その上でおっしゃるのです。折原臨也には近づくな、と」
両親は理由なく、あれこれ詮索したり、頭ごなしに否定しない人だ。
その人が直接ではないものの、調べることからも遠ざけようとしている。
腕を組み、黙り込んだ俺に運転手もそれは以上語らず、しばらく沈黙が続いたが、沈黙を破ったのは意外にも運転手だった。
「これは私の独り言ですが・・・折原臨也は人間を愛しているそうです」
あくまで”独り言”であるため、質問するわけにもいかない。跡部は黙って続きを待つ。
「特定の誰か、ではなく人類そのものを。彼にとって身内も他人も愛を注ぐ対象としては、平等なんです。
こんなことも聞きました。直接手は出さないものの、いつも暗躍している、と」
その言葉と同時に車が止まり、学校に着いたことを知らせる。
運転手がシートベルトを外し、A4サイズの封筒を差し出した。
「様のことはこの中に」
「ああ・・・・・すまないな、感謝する」
「いってらっしゃいませ」
>
何も言わず、深くお辞儀をした運転手から封筒を受け取り、車を降りた。
*****
「それで幽やつ・・・」
懐かしそうに目を細める静雄に、も頬を緩め相槌を打つ。
普段無口な静雄さんが、家族、特に弟の幽さんのことになると饒舌になる。
きっと、幽さんのことが大好きで、大事に思っているんだろう、お互いに。
平和島静雄、という穏やかな名前に反し、彼は”池袋最強”または”喧嘩人形”と呼ばれている。
実際、彼の剛腕を見れば納得するが、自ら暴力をふるう悪人のように噂されているが、彼はごく大人しい良識ある青年だ。
ただ、彼は人より怒りの沸点が早く、その力が優れているというだけ。
「っとすまねぇ・・・こんな話聞いてもつまんねぇよな」
我に返り、饒舌であったことを恥じるかのように黙ってしまったので、は首をふった。
「いいえ、もっと聞きたいです!聞かせて下さい」
「え?いや、でも弟の話ばっかでもよ・・・」
「ご家族の話、とっても素敵です!あ。でも勝手に幽さんにまで親近感湧いちゃうのはダメですね」
困ったように笑うに、静雄は微かに頬を染め、それを悟られないようそっぽを向きながら、じゃあ・・・と続きを話す。
は俺の下らない話を楽しそうに、時々相槌を打ったり、笑ったりしながら聞いてくれる。
それこそ始めは、反応が薄いし、感情も出ないし・・・・まぁ、幽と話してると思えば”普通”だったけどよ
やっぱ・・・・・・・嬉しいよな。
人より秀でた暴力と、怒りを制御できないせいで、俺はずっと他人と疎遠だった。
でもは、俺の力のことを知っていても怖がんねぇし、最初から変わんねぇ・・・否、今の方が人間らしい、感じがするけどよ
ともかく、あの忌々しい蓑虫野郎が血縁っていうのがひっかかるとこだが、といると、楽しいし、落ち着く・・・
心が暖かくなる、とかいうのはこういうことを言うんじゃねぇのか、って最近思うようになったりして。
「静雄さん?」
黙って眉間に皺を寄せている静雄に声をかけるが、それは突然響いた馬の嘶きのような声にかき消されてしまう。
振り返ると、真っ黒いバイクに跨り、某アニメの女怪盗も真っ青なスタイルを黒のライダースーツに包み、黄色い猫耳のついたフルフェイスを被り
彼女がそこにいた。
「セルティさん?」
「・・・・・どうした?」
彼女の名前はセルティ・ストゥルルソン。今池袋を中心に話題になっている、都市伝説”首なしライダー”本人だ。
そして、セルティは人間ではない。俗にデュラハンと呼ばれる、ケルト伝承に謳われる妖精の類だ。
デュラハンは切り落とした首を脇に抱え、コシュタバワーと呼ばれる首なし馬に轢かれた二輪の馬車に乗ってやってくる。
彼らが訪れるのは、死期が迫った人間の家。もしうっかりと扉を開けてしまったら最後、盥いっぱいの血液を浴びせられる。
そんな不吉で死の匂いに満ちた伝説として、今も欧州で語り継がれる。
何故、彼女が日本に、それも池袋にいるのかというと、彼女は自分の首を取り戻すべく首の気配を追い、アイルランドからやって来た。
ある日気がついたら、脇に抱えているはずの首がなく、首だけではなく記憶まで一緒になくしてしまったらしい。
分かるのは自分がデュラハンで、セルティ・ストゥルルソンであること、それと影を自在に操るという能力の使い方だけだった。
彼女は首を取り返すべく、鎧をライダースーツに、コシュタバワーを黒バイクに変え、日々首を探しているのだ。
2人に説明を求められたセルティは、手元から手のひらサイズのPadを取り出し、素早く文字を打ち込むと、2人に差し出す。
【デュラハンを見た絵描きのおじいさんがいるみたいなんだが・・・何か知らないか?】
そのおじいさんが首について何か知っているかもしれない、そう思っているのだろう。
表情はないのに、セルティさんがどことなく焦っているのが手に取るようにわかる。
首を振った私を見て肩を落とすが、静雄さんは思い当たるのだろう。知ってるぜ、と口を開いた。
【一昨日から南池袋公園にいるらしいんだが・・・】
「一緒に行ってやろうか?」
セルティさんが肩をピクリと動かすが、すぐ項垂れる。申し訳ない、と言わんばかりの様子に、静雄さんは気にした様子もなく、続ける。
「そんなんじゃ不便だろ?」
「私も一緒に行きます!ね、セルティさん行きましょう?」
2人に励まされたセルティは、3人でその老人がいるという南池袋公園へ向かう。
満開の桜の下で、その老人は絵を描いていた。
近づく私たちに店じまいだと告げるが、静雄さんがデュラハンの話を持ちかけると、老人は片付けの手を止め、私たちに向き直った。
若いころ、アイルランドの山奥で出会ったというデュラハンの話、一冊のスケッチブックに描かれた、様々なポーズを見せるデュラハン。
【首をなくした、とはどういう意味だ?】
「いや、違う違う。首がないんだ。首がどうしても決まらん」
そう言うお爺さんのデュラハンには、脇に抱えてあるはずの首の顔は埋まっていない。すべて空白のまま。
「あの日の記憶は確かなのに、首だけが思い出せん・・・描けば描くほど違って見える」
【その女の目や髪の色は?口元はどんな風だった?】
セルティさんの矢次の質問に、お爺さんは嘲笑を浮かべた。
「それが説明できたなら、絵にしようとは思わなかったさ・・・そういえば、昨日妙な男が訪ねて来て言ったんだ。
この絵は完ぺきだ、彼女は首がないのが正しいと」
「首がないのが、正しい・・・・?」
妙な男、というフレーズにもひっかかるが”首なしが正しい”とはどういう意味なのだろう。
本人がいる訳ではないので、聴くことはできないが・・・まさか、臨也さんが関わっている、んではないだろうか?
一つ浮かび上がった疑念をよそに、静雄さんがおじいさんに問いかけた。
「どうしてそんなに拘るんだ?」
片付けしていたおじいさんは手を止め、遠くを見つめ懐かしそうに目を細めた。
デュラハンを見たあの時が至高の瞬間であり、それを思い出したいのだと。
おじいさんの話はそこで終わり、セルティさんはフラフラと立ち上がりその場を後にする。
おじいさんにお礼を言い、フラフラした足取りで出口に向かうセルティさんに声をかける。
「おい、セルティ・・・【ありがとう。今日は、すまない・・・一人になりたい】
そんな文字が踊るPadを見せると、彼女は馬の嘶きのようなエンジン音と共に去って行った。
夕闇迫る道路を縫うように走りぬけ、すぐに見えなくなり、静雄とが残される。
2人の間に会話はない。2人共、セルティがどんな気持ちで、ずっと首を探し続けているか知っているから。
でも、私にはおじいさんの言う”妙な男”のことが気になる。
そもそもセルティさんは”誰”から”首なしデュラハンの絵を描く老人”の話しを聞いた?
いや、考えすぎ・・・・ポフッと頭に感じた重みに、俯きがちだった顔を上げると、前を向いたまま静雄さんが言う。
「俺らが悩んでも仕方ねぇだろ・・・明日になったらケロっとしてるさ」
「・・・・ありがとうございます」
「はっ?なんで、礼なんか」
「そうですね、私たちが考えたって仕方ない・・・・ですよね?」
『考えたって仕方ないんだよ。偶然だろうが、運命だろうが』
頭の中で臨也さんが嗤った・・・・気がした。
(2011.12.15)