「バイト?」
「な、頼むこの通り!」


拝み倒す勢いで、両手を擦り合わせるクラスメイトに悠と2人顔を見合わせる。
彼、花村陽介は稲羽市一の大型スーパー、ジュネスの店長の息子。
彼自身もジュネスでアルバイトしている従業員だ。
その彼が突然、それも切羽詰ったような表情で言うのだから、無下に断ることもできずとりあえずと話を聞くことに。


仕事の内容は、端的に言えば品だし。
特売品でいつも以上にはけが予想され、それにあわせて人手を確保していたのだが。


「ドタキャンってことか」
「おまっ・・・・まあ、そうだな」


悠の歯に衣着せぬ言い方に、陽介は肩を竦め苦い笑みを零し、はっと我に返ったようにいずまいを正し、あわせた両手を頭上にもっていく。


「頼む、な!給料は弾むから!」
「・・・・だってさ、どうする?」


なんともいえない表情の悠に、茶化すように告げてみる。
ほぼ断れない頼みごとだが、元々悠も断る気はなかったらしく。
かといって快諾した、という風でもない。そう見せる方が、面白いから・・・って理由だろうけど。


「分かった、手伝うよ花村」


感激と言わんばかりに悠の両手を握る花村くんを横目に、は母さんそっくりとため息混じりに呟く。
悪戯っ子というより、性悪というのだろう。
決して悪い人ではないのだが、ちょっとお茶目なところがある。
悠曰く、お茶目どころではない狡猾さと言うのだが・・・・・・それはともかく、その狡猾な人にどんどん似てきてる自覚はあるんだろうか?
うーん、と首を傾げるの頭をコツンと何かが触れ、ふと視線を上にやると、同じ顔が嫌に笑顔を浮かべてそこにいた。
あ・・・・・・考えてたこと、バレてる?
ヘラリと笑ってごまかそうとしたが、思い切り頬を抓られた。


「・・・・仲いいんだな、2人共」


花村くんが若干引き気味に笑って、傍観者を徹しようという姿勢がちょっと悲しい。
尚且つそんなことより、とアルバイトの時間に遅れるからと慌てて学校を出て行ったのがもっと・・・・。
とにかく、悠はあっという間に花村くんに拉致、もとい協力するためにジュネスへ。
去り際私が一人で帰ることを気にして、途中まででもエビと帰れと言われたけど、とっくに姿はなく。


「ま、バレなきゃいいよね」


小さな子じゃあるまいし、登下校を繰り返しているのだから道を間違えるわけもないし。
すっかり日が暮れるのも遅れ、ただ少し肌寒さが残る道を一人行く。
いつも誰かと一緒だから、ほんの少しだけ寂しいけれど、我慢我慢。
早く帰って、菜々子ちゃんと一緒に夕方のテレビでも見よう・・・・あ、そうだ。先に洗濯物たたんで夕食の準備して。


悠がいなくたって、一人でご飯作れることを証明してやろうじゃないか!
密かに決心し、簡単に作れるものは何があるかと考えを巡らせた時だった。


「ねぇ・・・君、鳴上さん・・・・だよね?」


突然肩に手を置かれ、予想以上の距離で誰かの声がしたら、飛び上がるだろう。
文字通りは飛び上がって、しかし手を振り解くことはできず首だけで振り返った。
目に入ったのは、学生服。声からして、同性ではない。それは肩に乗る手も、証明していることで。
人間許容以上の状況に追い込まれると、思考が追いつかなくなる、それが酷くなるとパニックに繋がる。
その一歩手前にきてるのかも、とどこか他人事のように捕らえながら、同じ歳くらいの少年と視線をあわせる。


落ち着け、と何度も繰り返しはようやく、はいとだけ返事を返した。
それを皮切りに、少年は不健康そうな青い顔を若干良くし、捲くし立てる様喋り始めた。


「君が転校してきたときから、見てたんだ。ずっと喋りたかったんだけど、君はいつもお兄さんや他の奴らといるだろう?だから話しかけにくくて
でもでも、俺分かってたんだ。鳴上さんも俺と2人きりで、喋りたいって思ってくれてたんだろ?だから、こうやって機会作ってくれたんだよね。
せっかくだから2人きりで、喋れるところ行こう?僕の家なら、誰もいないし、ね・・・ね!」


興奮しているのだろうか、肩に置いてあっただけの手にじわじわと力が込められていく。
痛いと感じるような圧力と比例するように、体中を満たしてゆく恐怖。
痛いと言うこともできず、もちろん振り払うことなどできるはずもなく。
彼にとって不快なことをしてしまえば、何をされるか分からない!
助けて・・・・・悠!
ぎゅっと目を瞑り、心の中で片割れの名前を呼んだときだった。


「ちょっとそこの君ー?」


シリアスな雰囲気にはおおよそ似合わない、間の抜けた声だった。
でもどこか聞き覚えのある声で。きつく閉じていた目をそろそろと開けると、視界に映りこむくたびれたスーツ。
たったそれだけのことで、は酷く安堵した。
足立さんと名前を呼ぶ前に、少年が何だよ!と突然声を荒げた。
苛立ちの頂点といわんばかりの声色に、は反射的に体を震せた。


「んー?僕はこういうもんなんだけどね」


ヘラリとした顔で、内ポケットから警察手帳を取り出し、少年の前につきつけた。
たったそれだけ、されど"警察手帳"効果抜群というべきか、少年は面白いほど慌て始める。


「君らの年頃って何かと難しいけどさ、客観的に見て彼女嫌がっているようにしか見えなかったから」
「べ、別に・・・・た、ただ話してただけです・・・けど」
「それなら肩、放してあげたらどう?彼女、怖がって震えちゃってるじゃない」


外面だけ整えて、警察官の足立透を演じる。
罵って、2〜3発いや顔の形が変わるまで殴ってやりたい衝動にかられている・・・・けど、抑えろ。
顔が引き攣るのを感じつつ、しかしあくまでも冷静に少年をちゃんから離す。
一刻も早くこの少年を遠ざけたいし、それに何よりちゃんが怖がっているのが気がかりでならない。
本来なら二度と彼女に関わらないよう、精神的に追い詰めてやるところだ。
まあ・・・・・色々と不本意だけど、こいつを気にしてる場合じゃない。


ほんの少しだけ、血色をよくさせてはいるけど顔色は悪いままで、震えも止まっていない。
瞼にはうっすらと透明な膜が張っていて、相当怖い思いをした・・・・否、今だって恐怖感の中にいるだろうに。
慌てまくって、言葉になっていない言い訳を並べる少年を押しのけ、ちゃんの肩に手をやり、ごく自然な流れで少年から離した。
僕が彼女の肩に触れた瞬間、少年はかっとなり、まるで友だちというより"彼女"と言わんばかりにはっ!と声を荒げたので。


「それ以上、彼女の名前を口にするな」


腐っても20代後半、それも刑事。まだ社会にも出たこともない、修羅場を知らなそうなガキを黙らせるには十分すぎたらしい。
ひっと息を呑んだ少年は、悔しげな表情で何かを言いかけたが、結局走り去っていった。
んー・・・・ちょっと大人気なかったかなぁ?
どうもちゃんのことになると、抑制がきかなくなる。
反省、反省と内心呟いていると、隣からあのっ・・・・と蚊のなくような小さな声がし、ふと視線を下ろすと、ちゃんと視線があう。


この時ばかりは流石に猛反省したくなった、というより自分の道徳観念の希薄さに頭を抱えたくなった。
頬を蒸気させて、アイアンブルーの瞳を潤ませ、薄桃色が色づいて桃色の唇を何度も開閉して・・・・そんな姿の愛しい人を見たら。


「足立さん?あの・・・・どうかしましたか?」
「や、ちょっと走ってきたからさ熱いなーって・・・はははっ」


言えない・・・・!
本当はちゃんのあられもない姿を想像してしまって、コーフンしそうになって赤面してる、とか・・・・・言えるはずない。
自分でもビックリの変態的思考に、呆れるやら、よくも適当な言い訳がペラペラと喋れるものだと感心していると、何を勘違いしたか
元気を取り戻そうとしていたちゃんが、萎む風船のように目に見えて小さくなっていくではないか。
も、もしかして僕の変態的思考がなんとなく分かって、ドン引きしてる・・・・とか?!


「あ、あの・・・ちゃん?」
「ごめんなさい」
「え・・・?え、っと。どうして謝るの?」


むしろ謝らないといけないのは、僕でしょ。
と、とりあえず!変態的思考はバレてない・・・・と。よかった、本当によかった。
だというなら、彼女の謝罪は何に対してのものだろうか?思い当たる節は露ほどもなく。


「私が悠との約束破って、一人で帰らなきゃ、足立さんの手を煩わせることもなかったのに」
ちゃんは悪くないでしょう!いくら約束したからって、必ず誰かと帰れる訳じゃないし・・・・あれ?その悠くんは?」


そういえば、いつもべったりの番犬君の姿が見えない。
というより、その番犬君がいないから絡まれたんでしょう。
彼ら双子の容姿は、田舎では嫌という程目立つ。お近づきになりたいと思っているのは、あの少年だけではないはずだ、自分も含めて。
足立の一睨で逃げ出した、あの少年程度なら再びちゃんに絡もうとは、思わないだろう。
けれど他はどうか分からない。かといって、悠くんのように第三者が共に行動する、というのにも限界がある。


実際、友だちの手伝いとう名目で悠くんはちゃんの傍を離れてしまったし、タイミング悪く誰とも共に帰宅できなかった。
だとしたら、現実的な策としてはもう一つしか思い浮かばない。


「えーっと、確か入れっぱなしに・・・・・お、あった。」


足立が掌の上に乗せたのは、キューブ型のキーホルダー。
よく見ると稲羽署のマスコット―警察官に扮した、デフォルメされた犬―イナバ君が敬礼しているイラストが印字されている。
戸惑うちゃんに、まずこれは防犯ブザーであることを説明し、そして先日小学校とその保護者に向けて行われた防犯教室のことを話す。


「堂島さんじゃ迫力ありすぎるってんで、僕が講習やったんだよ。で、このブザーは粗品、って訳」


見本として見せたブザーをそのまま持っていて、返すのも億劫でどうしようかと思っていたもの。
いいんですか?と恐縮したように訊かれ、足立は苦笑いを浮かべた。


「っていっても、余りものの処分押し付けてるみたいで、申し訳ないけど」
「そんなことないです!」


力いっぱい叫ばれて、足立は驚いてに視線を戻すが、逆に彼女はバツが悪そうに、どこか照れた様子で視線を逸らしている。


「と、とっても・・・・心強い、です」
「何もないよりかは、だけどね。僕としてはソレは、使われないほうがいいからさ?」


コクンと頷いたちゃんの顔色が少しだけ良くなったことに、足立はようやく息苦しさから開放された気がして、小さくため息をついた。


「とにかく、送るよ。このまま一人で帰すわけにもいかないし」
「え、でもっ!」


言い募ろうとするちゃんの言葉は、申し訳ないけど無視させてもらう。
そうして彼女にとっては"卑怯"とも言える言葉で、断るという選択も捨てさせる。


「今日のこと・・・とりあえず、堂島さんたちには報告しないから。だから、今日は大人しく送られること」


こう言ってしまえば、ちゃんが断るはずがない。
家族にでさえも、心配をかけることを嫌う彼女の思いやりを逆手にとっているが・・・・そこは俺だって譲れない。
ちゃんにもしものことが、考えたくもないがもしものことがあったら、俺はきっと平静を装ってなんかいられないのだから。


まあ、本音を言えば"頼れる人"だって見直してほしい・・・・ってことなんだけど。
最低なのは分かってる、分かってるけど・・・・好きだから仕方ないだろう!


「あの・・・・足立さん?」
「ん?ああ・・・・うん、じゃあ行こっか?」


相当考え込んでいる・・・・ように見えたらしい。
アイアンブルーの瞳が心配そうに揺れていて・・・・なんか色っぽくてどぎまぎする。
違う違う、俺は紳士、紳士なんだから不埒なことは考えるな!
心中で何度も自身を叱咤し、たわいない言葉を交わしながら堂島家へ向かった。