「え?」
「明日定時上がりだって聞いて。よければ、晩御飯いかがです?」
ここで喜んじゃぬか喜び・・・かもしれない。本物のちゃんかどうか、分からないだろ?
目の前のご褒美に食いついて痛い目みたのは、記憶に新しい。ま、仕返ししたけど。
だからこそ油断できないんだけど!
「こ、この間お世話になったので、そのっ・・・お礼を!と思ったんですが」
どもりながら、無理だったらいいです!と言われたら、食いつかないわけにいかないでしょ?
二つ返事でオッケイして、定時までまだかまだかを時計をチラ見していると、堂島さんからげんこつくらったけど。
それでも痛くない、平気。だってちゃんに会えるから・・・・!
きっと、今度はちゃんが作ってくれてて、エプロン姿で出迎えたり、して!
アイタっ!何するんですか、堂島さん?!え?ニヤニヤして気持ち悪い?元々ですよ、気にしないでください!
花を撒き散らかすような、ルンルン気分であっしーくんになり堂島家へ。
ずっと上司が居心地悪そうな顔をしているとけど、全然気にならない。
かといって道中沈黙が続いたままでも居心地悪いし、当たり障りのない世間話をしていると、突然堂島さんが切り出した。
「足立、に惚れてるだろ?」
「ええ?嫌だなぁ、堂島さん!何言って」
「・・・・もういい、分かった」
疲れたといわんばかりの表情で、ため息をつかれてしまえばそれ以上言い訳を重ねることもできず。
誤魔化しきれなかった自分より、何枚か上手の上司に舌を巻きつつ、さすが悠くんの血縁者と妙に納得をした。
気まずい沈黙に耐えられなくなった足立が、ばれちゃいましたか、と呟くと上司の表情が突然険しくなった。
「てめぇ・・・・に何もしてねぇだろうな」
泣く子も黙る鬼刑事さながらのドスのきいた声に加え、思わずバックミラーに視線をやれば自然と顔が引き攣る。
本来なら、ここでどう答えればメリットに繋がるのか、なんて考えていただろう普段の自分なら。
けれど気づいたら、何もしてないですよ!と咄嗟に叫んでしまっていて。
上司が微かに目を見開いているのが視界に入り、失敗したと軽く舌打ちを一つし、足立は大きくため息をついた。
降参だと言わんばかりに、本音を口にする。
「足立さん、俺バカみたいにちゃんが好きなんですよ、それこそ何かする気も起きないくらいなんス」
こんな気持ちになったのは、彼女が初めてなんですと付け加えると、突然堂島さんが笑い声を上げた、それも豪快な笑い声を。
それこそ居た堪れない気持ちになって、思わず何ですか!と言ったものの、拗ねたようにしか聞こえない自分の声に、しまったと口を塞ぐがとき既に遅し。
そんな僕を見て、堂島さんがまたも珍しいようなものを見るような顔になり、先ほどとは打って変わって優しげな表情を浮かべる。
「お前も一応は人間臭ぇとこ、あったんだな」
「・・・・どういう意味ですか?」
「よく言うぜ!署に来たばかりのお前、世の中を、というより他人を見下してます、って顔してやがった」
ぐぅの音も出ないとは、まさにこのこと。顔が上がらないとも言うだろう。
あの時の俺は、下らない足の引っ張り合いの犠牲にされて、縁のないド田舎飛ばされて、かといって中央に戻る気にはなれず、不満だけ抱えていた。
社会と折り合いをつけることすら放棄して、自分勝手な感情に任せ、よく知りもしないアナウンサーを殺そうとも考えていた。
自分を甘やかし続けた結果、堕ちるとこまで堕ちようとした俺を、そこから救い上げてくれた。
鳴上という存在が、ただそこにいて笑っているだけで、本当に不思議な感覚に囚われてしまうんだ。
「まあ・・・が嫌がるようなことだけはするな」
とても意外だ。俺の目の黒いうちはうんたらかんたら、言われるとばかり思っていたから。
きょとんとした表情で、俺が何を考えているのか分かったんだろう、足立さんは苦い笑みを浮かべた。
「いい加減な気持ちじゃないってのが分かったからな。まあ、問題は俺より悠と・・・・姉貴だな」
姉貴と口にした瞬間、苦虫を噛み潰したような表情をするのだから、笑うしかない。
見たこともないような表情で、上司のお姉さん、もとい彼らの母親の名を口に出す上司。
よっぽど怖い目にあったのか、それも今継続中なのか分からないが、堂島さんは相当、姉が嫌いらしい。
「放任主義の元で育った割りにゃあ、素直なんだけどな・・・どうにも悠がな、姉貴にそっくりなんだ」
このまま育てば、堂島さんでも頭が上がらないお姉さん2号が出来上がる、とでも思っているらしい。
しかし何故、彼らの母親にまで話が及ぶのだろうか?確かご両親が海外で働くからと、2人が堂島家に預けられたんじゃ?
ならどうして、僕が彼らのご両親と会う機会があるのだろうか?
首をかしげている俺に、いずれ分かると意味深なセリフを放ったところで、堂島家に到着。
話は逸れたが、だけじゃない、悠のことも気にかけてやってくれ。少しでも歳の近い、お前の方が何かと話し安いだろうしな。
そう言って、先に玄関に消える上司・・・・・・ちょっとカッコイイ、とか思ったのは内緒にしておこう。
気を取り直して、ちゃんの手料理を頂きますか!
引き戸に手をかけた瞬間、独りでにスライドしたので慌てて手をひっこめた。
驚いて後ずさるが、視界の脇に入った赤い布に、ちゃんのエプロン姿が?!と期待に胸膨らまして顔をあげ・・・
「何やってるんですか?早く入ってください」
厳しい視線もとい、虫けらを見るような目つきをしているちゃんの兄が立っていた。
動物や自動車が沢山あしらわれた、赤いエプロンを身に付け、片手にはお玉を持っている。
そりゃあ、勝手に妄想し、勝手に期待に胸膨らましたのは俺だよ、でもさ、でもこの仕打ちはないだろう。
ガッカリところか、微かに恐怖を覚えるよ、悠くんとエプロンのギャップに。
「名誉のために言っておきますが、これはからのプレゼントですよ」
俺が何を考えているか、すっかりお見通しだったという訳。裏を返せば、まんまと騙されたんだけど。
ピクピク口元が引き攣るのを感じていると、彼はこうも付け加えた。
「今日の夕飯は全て俺の手作りです」
またひっかかってやんのバーカ!そういわれた気がして、ブチンと何かが切れそうになった時、目の前のイケメン君が突然頭をさげた。
な、何だ?!思わず口走ってしまうところだった。そんな俺の動揺を他所に、悠くんが喋りだした。
「のこと、本当にありがとうございました」
そんな殊勝なことを言って、彼は顔をあげた。うっすら笑顔を浮かべていて、その笑顔がまたちゃんにそっくりで。
思わず赤面すると、彼はいつもの表情つまり冷ややかな視線をそのダークブルーの瞳に乗せた。
「俺、貴方のこと誤解してたと思ったんですが・・・・・やはり思ったとおりの人みたいですね、今のは撤回します」
俺のこと何だと思ってるの、とか色々突っ込みどころ満載だけど!
とりあえず、今の殊勝な態度は何に対してのものだったのか?
何が?と尋ねた俺に、彼ははぁ?と素っ頓狂な声を出し絶句した。
「何がって・・・・本気で言ってます?」
「そんな眉間に皺寄せてると、堂島さんみたいになるよ?」
トンと眉間を指で押してやると、毛を逆立てた猫のようにキッと目を吊り上げたのもつかの間、疲れたように大きくため息をついた。
急に百面相しちゃって、どうしたの?と尋ねる俺に、少し苛立ったように、防犯ブザーですと言うではないか。
何のことかと記憶を巡らせて・・・・あ。と今度は俺が声を上げた。
2、3日前に絡まれていたちゃんを助け、防犯ブザー渡したじゃないか。
「理解できて頂けて、幸いです」
「ちょーっと忘れてただけじゃない。それよりちゃん、言っちゃったんだ?」
「俺が問い詰めたんです」
「そりゃあ・・・・・お気の毒」
「どういう意味です?・・・・・とにかく、ありがとうございました」
そう何度も感謝されることでもなく、どこかくすぐったくて誤魔化すようにいつものように軽口を叩く。
「んじゃ、ちゃん。僕にちょーだい?」
「がいいなら、いいんじゃないですか?」
サラリと何でもないことのように、爆弾を落とした彼にギョっとして振り返ると。
「冗談じゃない、やめてください」
ニッコリと擬音とハートマークがつきそうな声色と、最高の笑顔。
「悠くん・・・・ほんと、性格悪いねぇ」
分かってはいたけど、性質悪いなぁ・・・・堂島さんのお姉さん、つまり彼らの母親はこれの上を行ってるんだよね。
「そりゃあ、堂島さんが手こずるわけだ」
苦笑いを浮かべた俺が、あまり堪えてないと分かったのだろう。
少し恨めしそうな顔で、何の話ですか?と彼が尋ねたところで、パタパタとスリッパの音が響き、2人共顔を上げる。
居間に続く暖簾から、ひょっこり顔を出したちゃんが俺と目が合うなり、笑顔を浮かべた。
パッと花が咲いたような笑顔に、胸の辺りがじわり、じわりと暖かくなる。
「こんにちわ。早く上がってください!」
足立さん独り占めしてないでよ?と口を尖らせている彼女は、悠くんよりもカジュアルなエプロンを身についている。
それでも、可愛い。それはもう、俺の妄想なんてそれはもう、バカらしく思えるくらい、可愛い。愛らしい。
可愛いと褒めるのが先か・・・いや、普通に挨拶が。
なんて葛藤していると、少し慌てた様子の菜々子ちゃんが姿を現し、お兄ちゃんお鍋!とSOSを求められ、妹命の悠くんが駆けつけないわけもなく。
一目散に居間に消えた彼に呆れていると、クスクスと鈴のなるような声でちゃんが笑った。
「慌しくて、ごめんなさい。悠、すっかり主夫になっちゃって」
「ああ、あのエプロンもよく似合ってるよ。ちゃんのプレゼントなんだって?」
「はい。冗談で送ったのに嫌な顔せず使ってくれて」
ふにゃりと顔を緩めるちゃんは、本当に嬉しそうで。ああ、心がざわめく、かき乱される。
自分以外の男、例え身内にだって些細なことで嫉妬してしまう・・・年甲斐がなさ過ぎる。
まぁ、気にすることないか。"恋に年齢なんて関係ない"なんて先人が言葉を残してるし、こうも言っている。"恋は盲目"
とりあえず、さっきの番犬の言葉をそのまま受け取ると・・・ちゃんとのことを応援してくれ、た?
いやいやいや、まさか!まっさか!俺は大人だ、そこまで甘くないことは重々承知している・・・・している、けど。
いい解釈に持ってくだろ?!人間なんだからさっ!
一人葛藤していると、突然ちゃんが頭を下げた。
「この間は、ありがとうございました」
悠君と同じように、防犯ブザーを渡すまでの一件、に対してお礼を言ってくれてるのだろう。
そうそう何度もお礼を重ねられる程のことでもないし、顔を上げてもらい、悠くんにも言われたよと肩を竦めてみせた。
「でも本当に、助かりました。あのままだったらどうなってたか、分かりませんし」
「あれから何もない?」
「はい・・・・あ、でも悠がちょっと過保護になりました」
恥ずかしそうに頬を染める彼女は、可愛くて愛しくて。
心臓が鷲づかみされたように痛い、けど同時にとても暖かくて・・・ちゃんだけだ、俺をここまでまともにしてくれたのは。
「ありがとうございます。これからも、仲良くしていただけますか?」
少し不安げな顔をして、手を差し出すちゃん。答えは初めから一つしかない。
差し出された手を握り返し、笑う。
「もちろん。こちらこそ、よろしくね」
始めて会ったときみたいですね。そう笑う彼女がただ愛しくて、傍にいて欲しくて、俺を、見て欲しくて。
気がついたら彼女の腕を引いて、腕の中に、つまり抱きしめてしまっていた。
信じられないくらい柔らかい体、細く頼りない肩、鼻をくすぐる甘い彼女の香りにゾクリと体を駆け巡る何か。
「あ、足立・・・さん?」
「ごめんごめん、親愛をこめたハグだよ。あんまり気にしないで」
いつもと同じように、笑顔を浮かべる足立さんを直視できなかった。
広いゴツゴツとした胸、相手の体温をダイレクトに感じ、悠ともお父さんとも異なる香りに心臓がドクリと音を立てて。
自然と背中に手を回そうとしていたのに気づき、それを誤魔化すように足立さんを呼んだ。
これだけひっついていたら、こんなに早い心臓の音に気づかれてしまう。
離れた後も、暴れまわる心臓に早く収まれといい続けながら平静を装って、足立さんを居間へ案内する。
身内以外にハグされたのが、それも日本人にされると思っていなかったから、少し驚いただけ。
別に何もない、同年代の女の子達が気にして話題にするようなそんなんじゃない、だって足立さんは大人なんだから。
なんて自分を納得させるための言い訳を、誰にも言われてないのに並べ立てた。
「今日はね、カレーなんだよ。お兄ちゃんが頑張って、お姉ちゃんと菜々子もお手伝いしたんだ!」
そう得意げに言った菜々子ちゃんと顔を見合わせ、ねー?と首を傾げるちゃんを微笑ましいと思いつつ、心中穏やかじゃあなかった。
むちゃくちゃ苦しい言い訳で、彼女を抱きしめたことを正当化できたけど、今度からは気をつけよう・・・いやそうしなきゃいけないと自戒する。
あのままちゃんが何も言わなかったら、それこそ下手に抱きしめ返されたりしてたら、キスしてしまっていた。
それも深っい、べろちゅーをかましてた。あの甘い香りは何だったんだろ・・・媚薬とか言われても頷けるかも。
俺むちゃくちゃ欲情したし・・・・いやいや、いかん。
欲情することがイカンのではなく、そのまま欲に従いそうになったのがイカン。
本当に、気をつけよう。まじで気をつけないと、無理に押さえつけてヤってしまうかもしれない、から。
こういう時、男ってとことん損だと思う。
ある生物学者に言わせれば、男は30分に1回"そういうこと"を考えるっていうし。
楽しげに笑うちゃん見てて、すごく幸せになるのも事実。
でも、生物である限り生理現象は抑えようのないのも事実。
俺、ほんっとダメだな・・・ちゃんを好きすぎてダメだ。彼らにばれない様、小さくため息をついた。