「ここはこうなって、後は分かる?」
「あ、この公式使って・・・あってます?」
「正解。それじゃこれは?」
足立さんの教え方は凄く上手で、一度教えてもらったら簡単に解けてしまう。
誰かさんとの教え方とは大違い・・・と心で思っていると、鋭い視線を感じて肩を竦めた。
それより、今はこっちに集中。
真剣な表情で、例題を解いている大人に視線をやる。
普段どちからといえば、ほわっとしている雰囲気だけど、今日は違う。
刑事の顔とはではいかないけど、真剣に話してる姿は、その・・・・かっこいい。
変な意味はないよ、断じて違う!けど・・・・かっこいい、頼れる大人って雰囲気。
「今ので分かる・・・かな?」
さっきと打って変わって、自信なさ気な表情で私を覗き込む足立さん。
ち、近い!何故だかドキっとして、無意識に離れつつ顔が赤くなりませんように!と願いながら、頷いた。
なんかすごくいい匂いがする。悠と違う香水・・・じゃない、石鹸?とタバコの香り。
叔父さんからもよくタバコの香りがするけど、不快じゃない。男の人っていう感じがする程度。
足立さんもそんな感じ。主に鼻梁を擽っているのは、石鹸の香りらしい。
例えるなら洗濯した後、太陽の光を沢山浴びて乾いたタオル・・・のような香り。
すごく分かりにくいけど、とにかくなんだか爽やかな気分にさせてくれる、そんな匂いがする。
「・・ちゃん、ちゃん?」
呼びかけられ我に返ると、ペンはすっかり止まっていて、更に予想以上の近距離に足立さんがいて。
わっ、と小さく驚嘆すると彼は目を瞬かせ、すぐ破顔して言った。
「始めてから一回も休憩とってなかったね、少し休憩を」
「すみません・・・」
「謝らないで?ちゃん飲み込みが早いから、つい・・・」
「粗茶ですが、どうぞ」
僕たちの間から湯のみが3つ乗ったトレーが現れ、ドンっと音を立ててテーブルに置く。
運んできた主は言わずもがな・・・近いんだよ、それ以上近づくなと言わんばかりに割って入ってくるところが、ねえ。
「あ、ありがとう。悠くん」
「僕にはこれくらいしかできませんから、教えるのが下手なんで」
「そ、そんなあからさまにスネなくたって!」
「別に」
フイとそっぽを向いて、立ち去るどころかソファーに腰おろしてお茶ススるとこが、ちゃっかりしてるよね。
いれてくれたお茶は美味しいし、思わずほっとため息をついたと同時に、電子音が響き渡った。
悠くんが音に反応し、ポケットから携帯を取り出すと首を傾げつつ、台所の方へ向かった。
「花村?どうかしたのか?」
君にも友だち、いるんだね。なんて違うところで感心していると、隣にいたちゃんも悠くんの方へ視線を送っている。
ということは2人の共通の、友だちってことなんだろう。陽介っていう名前から、男の子だろうけど。
いくつか言葉を交わした後、通話を終え居間に戻ってきた彼は。
「花村んとこ行ってくる。泊まるかも」
「何かあったの?」
「分からない、様子が変なんだ・・・菜々子頼む」
ポンと頭に手を乗せられ、不安げな顔したちゃんが首を縦に振り、次に彼は僕を見た。
「じゃあ僕も、お暇させてもらおうかな」
悠くんの言わんとした事を先取りすると、ちゃんがえっという声を上げて驚きに目を丸めて。
もっと勉強教えてもらいたい、のか僕に帰って欲しくないのかどっちなんだろう。
後者だったら嬉しいけど。心のうちでちゃんに語りかけると、彼女は時計を見上げ顔色を青く染め上げた。
もう日付が変わる10分前だったから。本当に集中していたらしく、時間なんて気にしてなかったみたい。
実際俺も、今確認してビックリしたけどね。本当、ちゃんといると時間を忘れてしまう。
一緒にいたい、という気持ちが先行しすぎてしまう。
「遅くまでごめんなさい!あ、明日もお仕事なんですよね?!」
「いつももっと遅い時間だから平気だよ?何より、楽しかったし」
前のデートのように2人きりではなかったけど、彼女と同じ時間を共有できたことが、信じられないくらい嬉しいんだ。
珍しくストレートに言った俺に、ちゃんはいつもの俺が好きな笑顔を浮かべ、私もです。と同意した。
"信頼されているけど、特別じゃない"分かってるから、切ないものがある。
その感情を押さえ込み、笑って見せた。
「それじゃあ、次は明後日だね。」
「はい、足立先生」
「足立さん行きましょう」
ちゃんの"先生"に浸りそうな俺が易々と想像できたんだろう。
悠くんが間髪いれずに言い、先に玄関へ行ってしまいちゃんもその後に続く。
何ともいえない歯がゆさを感じつつ、彼らの後に続き、ちゃんの見送りで暗闇へ足を踏み入れた。
彼女の見送りが見えない、曲がり角に差し掛かると突然悠くんが立ち止まり、口を開いた。
「ここでいいですよ」
「何が?」
「足立さん反対方向でしょ?もうも見てないですから、帰ってください」
気を使ってるのか、本心なのか。いや間違いなく、後者だな。
このクソガキ、俺のことどんな風に思ってるんだ?こんなことを平気で口に出来るくらいだから、ダメ人間認定されてるか。
確かにダメ人間だけど、ここまで薄情だと思われてるのはいささか心外で。
「あのねえ、悠くん?大人舐めすぎ、というより俺のこと舐めすぎてんじゃない?」
すると彼は軽く目を見開いて、考える素振りをした。
「舐めてはないですよ?ただイジりがいがあるな、と・・・」
「けなしてるよね?まあいいや。とにかく、今急いでるんだろ?早く行くよ」
「や、だから俺一人で」
「大丈夫じゃないよ。君は未成年なんだ、念のためってこともあるだろ?」
ストレートな言い方に、彼は露骨に顔を顰めようやく俺に振り返った。
「お説教ですか?」
「君より10年長く生きた者からの、アドバイス。説教臭く聞こえんのは、気のせいだよ」
「ああ言えば、こう言う」
「悠くんには言われたくないなあ」
こういう言葉遊びは、嫌いじゃない。
似たもの同士だと嫌悪感しか伴わないと思っていけど・・・案外そうでもない。
先が予測できるから、相手以上のことを言いたくなる。
むこうだって、こっちの手は読めるからそれ以上の展開を考える。
まあ捻くれてるっていう、言い方がピッタシだけどねえ?
「ほら行くよ」
俺が促して先を歩き始めると、しばらくして後ろの彼の足音が聞こえ始めた。
指摘されたことは癪らしいけど、黙って着いてくる辺りは大人なとこがあるんだよな。
そういや堂島さんも言ってたっけ?あいつらは変なところで、大人になるんだと。
「ったく・・・・調子狂う」
「ん、何か言ったかい?」
「いいえ?それより、明後日も本気で来るつもりなんですか?」
迷惑ですと顔に書いてある悠くんは、大人とは程遠いクソガキそのものだった。
aaa
勉強会という名の翌日、八十神高校はとある噂で持ちきりだった。
3年生の小西早紀が、男と駆け落ちした。
"らしい"でないところが、噂じゃなくなっているというか・・・・昨日陽介が悠を頼ったのもきっとこのことだ。
彼は彼女に恋をしていた。傍で見ている方までドギマギするくらい、彼女のことを想っているのが伝わってきて。
GWには彼女を誘うんだって、すごく嬉しそうにしていたのに。
だからといって、小西先輩が悪いわけじゃない。彼女には彼女の想いがあるんだし、押し付けちゃいけない。
分かってるけど・・・・・やっぱり納得いかない。だって私は、陽介の友だちだから。
小西先輩のことを恨めしく思ってしまう、他に決めてる人がいるのなら何故陽介を突き放さなかったのって。
「なんか・・・・嫌だな、こういうの」
「何でも面白がるのは・・・変、だよ」
雪ちゃんと千枝ちゃんが顔を顰めながら呟き、私は俯いた。
かといって、ここでやめて!と叫んだって何の解決にもならない。
何を、してあげられるんだろう。
友だちとして陽介にしてあげられることって、何?
「ちゃん、そんなに怖い顔してちゃダメよ?」
突然雪ちゃんに呼びかけられ、はっとして顔をあげると、彼女は困ったように笑って私の眉間を指さした。
そんな怖い顔してたんだ、と他人事のように思いながらヘラリと笑うと、反対側にいた千枝ちゃんがあー!と苛立ったように声を上げた。
「やめやめ!ウダウダ考えたって何にもなんない!こういう時は、行動あるのみ!」
グッと拳を握る彼女を雪ちゃんは、苦い笑みを浮かべて見やる。
「何をするの、千枝?」
「アタシらいつも通にしてよう?何がいつも通りか、なんて聞かないでよね・・・アタシも考えてんだから」
口を尖らせ俯く千枝ちゃんに、雪ちゃんが小さく噴出した。
憤慨とばかりに声をあげる千枝ちゃんから、少しでも逃げようと身を捩じらせる雪ちゃん。
おかしくてつい噴出すと、2人そろってきょとんとした顔で私に振り、間を置いて彼女らの顔にも笑みが浮かんだ。
何難しく考えてたんだろう?
千枝ちゃんの言う通りだ。私たちはいつも通りにしてればいいんだ。
特別なことなんてしなくたって、傍にいて伝わるものってあると思うから。
それに陽介には悠がついてるんだから、心配することなんてないはずでしょ?
暫くしたら、後方のドアから飄々とした態度で現れるんだ。
それこそいつものように。
「よっ!おはよ」
耳に馴染んだ陽気な挨拶に、3人が振り返るといつもの陽介がそこにいた。
でも一つだけいつもと違う彼に、3人は同時に噴出し顔を背けた。
相当泣いたらしく、目が真っ赤に晴れ上がって別人だ。
事情が分かっているといっても、彼の目は相当面白いことになっていて・・・笑うなという方が無茶だ。
「んだよ?!笑うな!」
「だ、だってー?!」
「は、花村くん・・・・そ、その目・・・!」
「デメ金みたいだろ」
後からやってきた悠がシレっと言い、陽介の憤慨する声と共に、雪ちゃんのスイッチが入ったのは言うまでもなく。
「フォローになってねぇぞ、悠?!」
「まあまあ、落ち着け陽介」
胸倉を掴まれても、一切動じない片割れに呆れつつ、ふと違和感を感じ今の二人の会話をもう一度、脳内で再生してみた。
確か昨日まで悠は陽介のことを花村って呼んでた、よね?
ちょっと?ううん、かなり驚いた。人見知り激しい悠が、ちょっとやそっとじゃ心を開かない悠が、名前で呼ぶなんて!
そっか・・・・・悠の中じゃ陽介はもう"他人"じゃないんだ。
もしかすると、初めて聞いたかもしれない。悠自身から、血縁者以外を名前で呼び捨てにしてるなんて。
昨日で何があったのか知らないけど、よかった。
力いっぱい頬を抓られている悠と、意地悪そうな顔で頬を抓っている陽介を見比べ、は顔を綻ばせ、ある提案を持ちかけた。
「カラオケ、行かない?」
の提案に反対する者は、当然のようにいない。
バイトを入れてなかった俺も当然その輪の中に入って・・・・正直、そんな気分になれない。
でも浸ってたって、現実は変わらない。だから。
「おっしゃー!俺の美声聞いてびっくりすんなよ?!」
「え、陽介そんなに上手いの?楽しみー!」
「ちゃん、本気に取ったらかわいそうよ?勢い余って言っただけなんだから」
「あ、天城って結構毒舌なのな・・・・」
「花村・・・それ今更だよ」
そんなやりとりをしながら、稲羽に一のカラオケ店へ。
狭い部屋に5人入り、適当に飲み物を注文する。
「私メロンソーダ!」
「着色料つきすぎ、ダメ」
「ええ?!1杯だけ、ね?ね!」
「あたしはウーロン茶でいいや。雪子どーする?」
「え?んと・・・野菜ジュース」
「ええ?カラオケに野菜ジュースとか・・・あったよ、うっそ?!」
「お願い、ね!ゆうお兄ちゃん?」
「・・・・・菜々子だったらなあ」
「なんか失礼だよね。確かに菜々子ちゃんは可愛いけども」
「で、結局何頼むんだよ?」
俺の言葉に4人が動きを止め、口々に飲み物を言う・・・・って、この流れは俺が頼むわけね。
ちなみにの粘り勝ちでメロンソーダを注文できて、満足気に笑ってる。
飲み物が来たところで、リモコンで曲を入力。もちろん歌うのは、マイクを握ってる本人。
久慈川りせこと、アイドルのリセチーが歌うPOPな新曲。
一言で言おう。うまい。半端じゃなく上手い、そしてサビのとこだけでも振り付けマスターしてるとか・・・どんだけ。
そして間奏中に天城と里中にマイクを握らせ、2人も交え3人で歌い始めそのまま最後まで。
その途中にリモコンで次の曲入れてるし・・・・なんか、小慣れ感が怖いんですけど!
焦った表情で隣の悠を見ると、神妙な顔で首を振っている・・・・なんだこれ、諦めろってことか。
「はい!次は君らのターン」
ズイっと手渡されるマイクに引き気味の俺、ノリノリで受け取る悠。
そうだよな、すっかり忘れてたけどお前ら双子なんだよな。
「花村あ、美声きかせるんじゃなかったけ?」
「お、おうともよ!」
里中に乗せられたのは分かってる、けどここで乗らなきゃ男が廃るっつーか。
半ばやけくそで歌い始め、それにあわせてハモってくる悠・・・・・・上手いのはお前だ相棒!
そのお陰でやたら気持ちよくなって、ノリノリで歌い終えた俺は結構単純だと思う。
カラオケなんて始まってしまえば自己満足のようなもので、それぞれが楽しげに歌い始め、窮屈な密室は一気に騒がしくなった。
天城が天城越えを歌い、それを携帯で撮影する鳴上兄妹、さらにそれを撮っている里中。
盛り上がりが最高潮に達している時、飲み物も何かつまむものも底をつきそうだと悟った俺は、注文するためそっと部屋から出た。
飲み物は部屋内で注文できるくせに、食べ物だけは受付に行かないと買えないシステムになってるから。
一人歩く俺に、一瞬騒がしい歌声が響き続けざまにバタンとドアが閉まった。
他の部屋の奴が外に出たのか、とボンヤリ考えていると肩をポンと叩かれた。
「一人で寂しいでしょ?ついてくよ」
肩を叩いたのはらしく、そう言った彼女は笑って俺の隣に並ぶ。
「おう。サンキュ」
「どーいたしまして」
鳴上兄妹は恐ろしいくらいにマイペースなくせに、しっかり周りが見てる。
俺が何をしに部屋を抜けたかも、分かっているんだから感心させられる。
そんな奴らだから、俺も本音見せちまったのかも・・・・ダッセェ情けない俺を。
ダダこねたガキみたいに泣きまくる俺の隣に、ただいてくれた悠。
『そんな気負うな。俺たちは友だちだろ、陽介?』
今思っても恥ずかしいことこの上ないセリフだと思う、けど・・・・・すっげえ、救われた。
しばらく小西先輩のことは忘れらんない。
けどいつか、笑いながら話せるときがくるって、そう信じてる。それも全部、悠のお陰。
だから今度は悠の、の、鳴上兄妹の力になってやりたいって思う。
2人から貰ったもの少しでも、返したい、共有したい。だって俺らは友だちだから。
「何ニヤけてんの、陽介?」
「へ?い、いや別に・・・」
「あ、分かった!雪ちゃんでしょ?確かにあんなハジけた雪ちゃん、滅多に見られないもんね」
「そ、そーだよな!天城も見た目に反して、あんな中身だもんな」
「あんなって・・・ちょっとスイッチ入ったら、まあ・・・・おもしろいけど」
勘違いしてくれてよかった。まさかお前ら双子のこと考えてました、なんて恥ずかしくて言えるわけない。
「やっぱスナックの詰め合わせが一番だよね?あ。ポッキーもいいね。おお、ポテトも捨てがたい!」
「あんま頼みすぎっと、悠が煩いぞ?」
小さい子どもがはしゃぐような姿に、苦笑いしているとメニューから顔を上げたが、笑みを浮かべ言った。
「陽介、悠のことよろしくね?ちょっと変わってるけど」
「それ。悠聞いたら怒るぜ?きっと」
「だから2人の秘密!あ、私がよろしくって言ったのも内緒ね」
声を潜めて、人差し指を口元に当てて恥ずかしそうに笑う。
なんか分かった気がする、悠が菜々子ちゃんが大好きでたまらない気持ちが。
一人っ子で兄弟いないし分かんねーけど、妹がいたらみたいな感じなんだろうな。
温かい何かで満たされるのを感じつつ、陽介はの頭を乱暴に撫で、任せろとばかりに大きく頷いてみせた。