『満点でした!』


スピーカー越しに聞こえる声は、とても弾んでいて俺も思わず笑みを零した。
電話相手はもちろん、ちゃん。何が満点だったかというと、俺が家庭教師を引き受けた再試のテスト。
そりゃあそうでしょ。俺が教えたからとかそういうことじゃない。
彼女の飲み込みの早さを見ていたら、満点じゃないのがおかしい。
問題を作った奴がよっぽど捻くれてなきゃ、当然の結果で。


「おめでとう。ちゃん頑張ったからじゃない」
『あ、足立さんのお陰です!すごく分かりやすくて、勉強するのが楽しくて』
「そう言ってもらえると、嬉しいなあ」


そして2人で笑いあい、沈黙が落ちた。
嫌な時間じゃない。そう思うのは俺だけかもしれないけど、何も喋ってなくても時間を共有できてるってだけでこんなにも満たされる。
27年間生きてきてこんなこと、生まれて初めてで急激な変化に俺自身戸惑ってるし、パエマーな考え方にぞっとするのを感じてる。
それでも"しょうがない"なんて諦めてる自分は、本当に彼女のことが好きでたまらないんだと実感する。


『あ、あの!』
「うん?」


ほんの少し上ずったちゃんの声に首を傾げると、予想外の言葉を彼女が口にした。


『お礼、を・・・』
「え?」
『貴重な時間を割いていただいて、すごく丁寧に教えてもらって・・・あの、大した事はできませんが・・・・えっと、』


風船がしぼむように、勢いのなくなる声が右から左へ流れていき、再び沈黙が降りた。
何か言わないと。頭では分かっていても、口が動かない。


安易に口を開けば、秘めている想いを洗いざらい吐いてしまいそうだ。
秘めてる想い、なんて綺麗な感情じゃない。
ドロドロとして人として最低な感情を含んだ、憎悪に似た独占欲と愛情。
ちゃんを誰にも取られたくない、俺以外を見るのも、想うのも許せない。
俺だけしか見えないように、俺だけのことしか考えられないようにしてやりたい。
どこか人目につかない場所に閉じ込めて、ずっとずっと2人で・・・・


『や、やっぱり変ですよね!あのっ変なこと言ってごめんなさい!』


スピーカー越しの気落ちした声に、はっと我に返り咄嗟に口から出たのは。


「べ、弁当!」
『・・・・え・・・?』
ちゃん手作りのお弁当、食べたい・・・な」


我ながら間抜けな答えだったけど、咄嗟に出たものにしては良く出来た方だと思う。いっそ褒めてやりたいね、自分を。
でも彼女の手作りの料理を食べたいと思っていたのは、本当のことで。
勘違いちゃん手作り弁当は、あのクソガキ手製の愛情たっぷりで・・・・そりゃあ美味しかったけどさ?
むちゃくちゃ腹立たしいことこの上ない。美味しかったことが余計に・・・やめよう、虚しいだけだ。


とにかく俺は彼女の手料理が食べてみたいんだ!
そりゃあ・・・料理が苦手と言っていた彼女には、煩わしいことかも・・・じゃない、煩わしいに決まってる。
家庭教師モドキしただけで、それ以上の見返り求めてるってことになるだろこれ。


「ご、ごめん!やっぱ『へ、へたくそですけど・・・それでもいいですか?』


自信なさ気に少し震えた声色に、俺は思わずうん。と言ってしまった。
迷惑とか考える以上に、単純に嬉しくて。


『悠みたいにおいしくできないですし・・・あの、本当に期待しないで下さいね?で、でも頑張りますから!』
「・・・うん、楽しみにしてるよ」


最近自分がちゃんをどれだけ好きか、彼女自身に思い知らされることが増えてる気がする。
それはそれで嬉しいことなんだけど、同時に切なくなるし、焦りも出てくる。


『プ、プレッシャーかけないでください?!』
「ええ?そんなつもりはないけどなあ・・・・」
『そうやってハードル上げたって、おいしいものはでてきませんよ?』


こうやって他愛のない会話をすればするほど、胸の中で燻り続けている想いはどんどん大きくなって。
いつか自分でもコントロールできなくなるんじゃないかと、暴走して彼女を泣かせてしまうんじゃないかって。
タチが悪いのは実感してるよ、実感してるからこうやって焦れてるんだろ?
10歳離れてて未成年だし、上司の縁者で、腹立つ番犬だっているし・・・まあ番犬も最近牙を剥けられる回数が減ってるけど。
今更だけど、かなりの障害がある。本当今更だよね?でも初めてちゃんを見たとき、感じたんだ。


俺にはこの子しかない、って。




「練習期間が必要だよね・・・1週間後とか、どう?」
『う゛・・・・それくらいなら、まともな何かは作れてる、はずです』
「・・・・・・そんなに料理できないの?」
『・・・・・・・はい。母からも、悠からも台所立ち入り禁止令がでてます』
「それは・・・」
『だ、大丈夫です!子どもの頃の話ですから、今はちょっとマシになってますよ!・・・恐らく』


確信しているのに伝えられないのは、俺が臆病者だから。
この心地よい時間を壊してしまうのが、怖くてたまらないから。
拒否されるなんて考えたくもない。
そんなこと絶対にさせない、と自信ありげに言う俺と、ちゃんが離れていくことに怯える俺がいて、最近怯える俺が大きくなってる。
先人達が歌に詠むんだように、恋慕は身の破滅と己の醜さを露呈させる恐ろしいものだと、今なら頷ける。
もちろんそんな恐ろしいだけでなく、幸せで、嬉しくて、甘くて・・・・あったかい感情も持てることも分かってる。


「好きだ・・・・ちゃん」


通話を終えた携帯を額にあて、祈るように呟いた。




「ど、どうしよう?!」


足立さんとの通話を終えた途端、妙に力が抜けてその場にペタリと座り込み頭を抱えた
つい意気込んでできるって言っちゃたけど・・・・・私料理本当にできない?!
お弁当でしょ・・・・・悠が作るお弁当って何入ってるっけ?
えと、玉子焼きでしょ、ウインナーでしょ、あと夕飯の残り物を再利用したおかずとか、野菜もの。
彩が綺麗で美味しくて・・・思い出したらお腹すいてきちゃった。


「じゃなくて!」


一人突っ込みを入れて、その場から立ち上がり居間へ向かう。
もちろん話をする相手は、悠。
ソファーで菜々子ちゃんとバラエティーを見ている悠の前に立ちはだかると、片割れは訝しげに私を見上げた。


「嫌だ」


私は決して何も言ってない。にもかかわらず、彼はあっさりとそう切り捨てた。
言うことが分かっているといわんばかりに。
こういう時、双子っていうのはつくづく損だと思う。
他の双子達がどうか分からないけど、私たちの場合片割れが考えてることがなんとなく分かる。
その表情で話し方で、態度で。だから悠は内容を聞く前に、間髪いれず断った。厄介だと判断したからだ。


確かに私が料理をする、ということは厄介だと自分でも思う。
向いてないとも思う・・・・・・けど。


ちゃん手作りのお弁当、食べたい・・・な』


あんな風に甘えた声でお願いされたら、断れないでしょう?
食べてもらうからには、喜んでもらいたいし、美味しいって言ってもらいたいし。
何より私が、足立さんががっかりする顔が見たくないから。


「ね、お願い!おにいちゃん」
「い・や・だ」


両手を合わせて拝み倒したって、悠の冷たさは変わらない。だけど私だって必死だから、諦めない。
お願い、嫌だ、お願い、嫌だを繰り返していると、テレビを見ていた菜々子ちゃんが私たちに振り返り、首をかしげた。


「おにいちゃん・・・何がいやなの?」


純粋な菜々子ちゃんの声に、悠が声を詰まらせたとこで初めてお願いの内容を口にした。


「料理教えてほしい、な?」
「ダメだ。というか嫌だ」
「理由は?」
「忘れたのか?ゆで卵を作ろうとして電子レンジ壊したり、包丁握れば怪我したり・・・」
「そ、それは昔のことでしょ?!今はちょっとマシになったじゃない!」
「マシ?りんご一つ満足に剥けないどこが、マシなんだよ」


真っ青な顔で、現実を突きつけてくる悠にぐぅの音もでない。
でも粘らなきゃ首を縦に振ってもらえない。負けじと口を開こうとすると、菜々子ちゃんが笑顔で言った。


「菜々子がおしえてあげる!」
「「え?」」
「菜々子かんたんなおりょうりなら、つくれるよ?ゆで卵でしょ、目玉やきでしょ、りんごの皮もむけるよ?」
「な、菜々子ちゃん・・・・!」


無邪気な笑顔と優しさに、心が暖かくなるのを感じているとソファーに腰掛けていた悠が大きくため息をつく。
それも私たちから顔を背けたまま、不機嫌露に。
菜々子ちゃんが不安げに悠を見て、続けざまに私に視線を寄越し、私は菜々子ちゃんを安心させるように微笑んだ。
不機嫌なのには変わりないけど、怒ってるわけじゃない。悔しいとは思ってるだろうけど。


「ふふ、ありがとお兄ちゃん」
「礼なら菜々子に言えよ?」
「ええ?お姉ちゃんが菜々子におれい、するの?なんで?」

不思議そうな声をあげる菜々子ちゃんは、私たちを交互に見るため忙しなく首を動かしている。
そんな微笑ましいいとこと、やっぱり不機嫌そうな顔で私を睨む片割れに、笑ってみせた。


「悠はね?私と菜々子ちゃんの2人きりで台所に立たせるのが、不安なんだって」
「・・・・菜々子だいじょうぶだもん」
「違うよ菜々子。が包丁握ったら何が起こるかわからないから・・・・菜々子だけに危ない思いはさせられないから」
「何気に酷いよね」
「あざといお前に言われたくない」


菜々子ちゃんに向けていた優しげな笑顔のまま振り向かれ、鳥肌が立つのを感じつつ負けじと微笑み返した。








aaa







「その手、どうしたの?」
「えーあー・・・ちょっと、ね」


絆創膏まみれの指に、驚愕するエビ。
笑って誤魔化そうとする、その隣でため息つく俺。
不器用だとは思っていたけど、あそこまでとは・・・・・・菜々子を台所から避難させたのは、昨日のことだ。
わが妹ながら、将来が思いやられる。


ため息をつくと同時に、募るような視線を感じ、巻き込むなと無視を決め込もうとしたものの・・・・・やっぱり俺はに甘い。


「エビ、その辺にしといてやれ」


俺がエビと呼んでるからか、助け舟を出したからか・・・どっちもか。
彼女は不快露に、今度は俺に詰め寄った。


「あたしはを心配して!」
「料理でああなったんだ」
「悠!」


ケロリと告げた俺に、目を瞬かせるエビ、顔を赤らめて声を荒げる
そこまで恥ずかしがらなくても、エビも知ってるだろ。がいかに料理できないか。
鞄に入っていたタッパーを取り出し、おもむろに蓋を開けて見せると、エビが青ざめわななきながら、一言。


「黄色い、スライム?」
「玉子焼き!」


残念ながら、タッパーに入っているのは黄色いスライムというか、塊。
誰から見ても純然たる塊で、断じて玉子焼きという料理名のついた食べ物ではない。
初めてやってみたには・・・・マシな結果だと思う。という料理オンチがした結果、に限るが。


「見た目はこんなだけど、味は大丈夫なの!」


は俺からひったくるようにタッパーを奪い、ずいっとエビに差し出した。
今度はエビから募るような視線を向けられた・・・全然嬉しくない。
しかし味の保障はできる。なぜなら、既に俺がどく・・・もとい味見をさせられているから。


「食べてやれよ、あい」
「はい、あいちゃん」


きっとエビは心中で、俺たち双子を鬼、悪魔と罵っていることだろう。
すでに酷い目にあった俺としては、是非とも仲間を増やしたいと思っていたところだ。
だから後ろからあいのうめき声が聞こえたって、気にしない、俺には聞こえない。


「・・・・お、おいしい?」
「何で悠と同じような反応するの」


憤慨するをよそに、幾分か顔色が良くなったあいが口を開いた。


「なんで料理?」
「え、えっとね?あ、足立さんが・・・・」


顔を顰める俺と、ニヤケるエビ。
色々な意味で聡い彼女は、が何故料理を頑張っているか分かったらしく、はっはーん?と感嘆している。
それがまた腹立たしい俺は、ニヤけるエビに呼びかけた。


「都合のいいときだけ名前で呼ぶんじゃないわよ、シスコン」
「シスコンの何が悪い」
「ちょっと、悠・・・」
だってブラコンだろ?」
「うーん・・・よく分からないけど、悠のことは好きだよ?」


流石双子の妹、よく分かってる。思わず頭を撫でると、あいがドン引きして俺たちから距離を置いた。
失礼な態度に眉を潜めると、仕切り直しとばかりにエビが咳払いをし、話を切り出した。


「アダチサンに、手料理振舞うから頑張ってんの?」
「この間勉強教えてもらったから・・・そのお礼に、お弁当を作る約束しちゃって」
「よくそんな約束したわね、あんた」


呆れるエビに肩を竦めたは、何故か頬を赤らめながら小さな声で言った。


「だ、だって・・・・嬉しい、って思って欲しいし」


俺の背後には、きっと雷が走ったに違いない。今までに感じたことのない、衝撃だ。
誰がどう見たって、が某刑事に想いを寄せているのは明白で・・・・親愛ではない、恋慕だ。
知っていた。知っていたけど・・・・見せ付けられるのは、ショック以外の何ものでもない。


それから肩振るわせ続けてるエビ!後で、憶えてろ。


「なら・・・・もっと練習するしかないな」
「うん!頑張るから、悠先生よろしくお願いします」
「あい、お前も手伝ってくれないか?」
「え?あ、あたし?無理無理、料理なんてできるってレベルじゃないし」
「大丈夫だ。この玉子焼きより上手く出来るだろ?」


間髪いれずに頷くあい。まあ・・・・・・当然だ。
エビに手招きし、から離れ声を潜める。


「頼む!俺だけじゃキツいんだ。色々と」
「いいじゃない!大好きな妹とマンツーマンできて」
「そういう問題じゃないんだ、分かるだろ?」


沈黙は肯定。俺の辛さを察してくれたエビも巻き込む・・・もとい、先生に加わった。