足立透という人間は、どうしようもない腐った奴だ。
誰かを恨むことでしか、優越感に浸ることでしか己を保つことができない、コンプレックスの塊。
エリートたれという両親の教育方針はとても厳しくて。
諦めることも、逃げることも出来ず、終には諦めることすら諦めた。


今思い返せば好かれたかった、ありのままの自分を愛されたかったんだろう。
一般的に無償の愛を注いでくれるのは、生みの親である両親。
しかし両親から与えられたのは、打算にまみれた醜い感情ばかり。
自分は彼らの対面を保つためだけの"道具"でしかないと気づかされた時は、何かが抜け落ちた。


そんな惨めな自分認めたくなくて、周囲の人間を見下し始めた。
俺は卑屈な奴だったに違いない、友だちはいても親友なんて呼べる奴は皆無。
むこうも腹の中じゃ何を思っているか、分かったものではない。
決して本心を見せず"優等生でちょっと抜けてる足立透"を演じ続け、その心中では罵倒を浴びせ続けた。
そうやって大人になり、俺は両親が望んだエリートに、官僚という職についた。
警察という組織を選んだのは、ホンモノの拳銃が扱えるからという"どうでもよい"理由だった。


エリートの軌道に乗れたんだから、問題起こさず大人しくやっていれば、歳相応の地位にはつける。
向上心の欠片もない俺は、安心していた。何もしなくとも、流れに身を任せればいいことに。
その油断が、結果を招いたのだろう。他人の失敗を全て押し付けられた。


周囲に庇う人間などいるはずもない、皆自分の身が可愛いから。
更に"どこか"がからっぽになるような錯覚を覚えつつ、当然のことだと言い聞かせた。
エリート街道から完全に外れた俺を、両親はあっさりと切り捨てた。
ショックだったのは、どこかで期待をしていたんだろう。
両親だからと、血が繋がっているからという理由で"家族"でいる理由なんてどこにもないだろ。


世の中クソだな。荒んで自分を悲劇の主人公と甘やかし続け、過ちを犯そうとしている頃、彼女に出会った。




とても温かかった。
からっぽだった何かが少しずつ埋められるような、そんな感覚。
今まで綺麗だと思う女はそれなりに見てきたつもりだ、だが本当の意味で魅力ある人に出会ったのは初めてで。
偏屈な俺は、会話していれば相手の腹に一物あるか否か、嗅ぎ分けることができる。
ちゃんはそんなもの、一片だって持っていなかった。


人を思いやる優しい気持ち、含みなく見ているこっちまでもが笑いたくなるような笑顔。
とても温かい家庭で育ったんだろう。かといって悪意に疎いわけでもなく、打たれ弱いわけでもない。
自分を愛することができて、沢山の人間を愛していて・・・・・俺とは間逆だった。
自分を愛せない奴が、人を本当に愛することはできない。どっかの偉い人の言葉が、嘘じゃないと実感した。


ちゃんの傍にいるだけで、胸が熱くなって。
ああ、こういうことが"幸せ"なのだと、今まで俺は何て思い違いをしていたのか。
なんとしても彼女の、一番近くにいる資格を欲し、ちゃんの傍にふさわしい人間になろうと思った。
だから勘違いをしたんだ、彼女が足立さん、足立さんと呼ぶ度に、一番近いのは自分だと錯覚をしてしまった。


「足立さん?」


名を呼ばれようやく我に返ったらしい俺は、置かれている状況を思い出し慌てて外見を取り繕う。
そうだった、今は考え込んでる場合じゃない。この女性の相手をしなくてはならないのに。
上司―堂島さんより上―から見合いをしてくれないか、一度会うだけでいいから。
面倒ごとは回避が一番と、受けてしまったのがそもそもの始まり。
何でも以前俺に親切にしてもらったことがあるとかで、気に入られたらしい。


育ちのよさそうな、綺麗な女性で一度会えば印象に残りそうなものだが、これっぽっちも残っていなかった。
俺がどれ程ちゃんに夢中になっているか、改めて思い知らされた気分だった。
ド田舎に左遷されたにもかかわらず、懸命に仕事に取り組む態度が気に入ったとか。
まあちゃんに会う前に比べたら、幾らかマシになったと思うものの・・・・何とも複雑な気分になった。


会うのは一回きりでいいと聞かされていたし、彼女の父親は地元の有力者。
そりゃあ引く手数多だろうから、二度と会うことはないだろうと失礼のないように気を使ったのが・・・・第二の間違い。
えらく気に入られたとかで、次は2人で会いたいとのこと。
面倒なことになったと思わず頭を抱えたが、所詮自分で蒔いた種。自分でどうにかするしかない。
芽は早めに摘み取るものだと、彼女に好きな人がいると告げるたが、それでもいいんですと断言された・・・・解せぬ。


どうしてそこまで好意を寄せてくれるのか、と思わず尋ねると理屈ではないと彼女。
その言葉にふとちゃんの顔を浮かんだ。
そういえば、ピクニック以来会ってないなぁ・・・っていうかクソガキにどうやって仕返ししてやろうか?
暫く警戒されるだろうから、忘れた頃におにぎりinハイチュウでもやってやろう。
江戸の敵は長崎で討て、ってね。
そんな時だった、あの光景を目撃してしまったのは。


「陽介」


少し先にいる彼らから届いたのは、ちゃんの声。
足立さん、と呼んでくれる同じ声色で、他人を、それも"名前"で呼んでいて。
加えて親しげに語らう2人は・・・・・悔しいほどにお似合いで。
"そうある"ことが"当たり前"のように、同じ学生服を身にまとって笑い合っているのを見せつけられれば、もうダメだった。
ドス黒い何かが胸を胸が詰まるほどの嫉妬心に、自分が恐ろしくなった。


ちゃんに何かしてしまうのではないか、と。
一方的に思いを募らせて、募らせすぎて勘違いをしたあの少年のように。
そう考えてしまうと、メールする手も自然と止まるし、距離も置きたくなるもので。
自分から連絡しなければ、一向に鳴ることのない携帯に肩を落としたのも束の間。
タイミングを計ったように多忙を極めたのは有難かった。


例の彼女にも会わなくて済むし、余計なことを考えないで済むから。
もしかして、彼女と僕が一緒に歩いているところを目撃して、僕と同じような感情を抱いてくれている、とか?
そんな都合のいいことを思いついては打ち消し"ヨウスケ"と呼ばれた彼とちゃんが脳裏にちらついては、頭を振った。


「足立、今日ウチにこないか?」


思わず頷いてしまったのは、ちゃん不足だったからだろう。
少しだけ"怖い"と思うものの彼女への愛しさが勝ってしまい、会わないという選択肢はすぐ消えた。
かなり緊張しつつ、外見は平静を装って堂島家に向かう。
上司に飲むぞと言われているため、一旦車を自宅に置いて改めて徒歩でのお伺い。
ちゃんに会えれば何を言おうか?まずは久しぶり、だよな・・・・それで近況とか?
いや、それでヨウスケくんの話持ち出されたら、かなり凹むというより嫉妬で目も当てられない。
どうやって彼のことを探りつつ、しかし話題に上がらないようやるか。
普段使わない頭をフル回転させるも、あっけなく堂島家に到着。
ま。どうにかなるだろ、と深い深呼吸をして引き戸に手をかけたときだった。


「ほらほら、早くしないと私たち最後になっちゃうから!」


間違えるはずがない、ドクンと心臓が跳ね上がる感覚に俺は思わず振り返った。
聞きたくて聞きたくて、仕方がなかった声。その彼女がすぐ傍にいる!
たったそれだけで浮き足立った俺は、まったく予想していなかった。
彼女が誰といるか、なんて。


って元気だよなー・・・俺、そんな元気残ってねぇんだけど」


ちゃんに続いて現れた、八高の制服を着た少年。
馴れ馴れしくも彼女を呼び捨てにしている・・・・ということは、彼が例の"ヨウスケ"くんなんだろう。
2人に気づいた俺は、咄嗟に身を翻し庭先に隠れた。
どうしてこんなこと、と思いつつも平静を装っていられる自信がなかったからだ。


「んー、陽介は毎日夜遅くまでバイトしてるから・・・・毎日ご苦労様です」
「い、いや別に!俺も給料はもらってるし!ってか・・・薄給だけど」
「バイク貯金だっけ?欲しいもののために、働くっていうのが凄いと思うけどなあ」


いや、全然凄くないし!と目には見えないが、照れ捲くっているのが用意に想像できる。
陽介は偉い、偉いと子どもを褒めるような口調でちゃんがいい、バカにしてねぇか?!とヨウスケくんがムキになる。
そんなやりとりをしながら、彼らは堂島家の中に入って行った。
ただいま、とお邪魔しますを聞きながら、俺は玄関に背を向けた。
同じようにお邪魔します、と今到着した風を装いながら入るなんて、できなかった。


「何やってんだ、俺」


一人で期待して、叩きのめされて・・・・どうしようもない感情を持て余し、きつく拳を握る。
堂島さんには悪いけど、フケさせてもらおう。
きっと正気であの場所にいられない、逆にどうやれば正気でいられる?
強制的に連れれようが、シラフでなんかいられないから、潰れるペースで酒煽ってその勢いでぶちまけて・・・・目に見えてる。


最初から全部、間違ってたんだ。
10も歳が離れた子に、それも上司の血縁者にこんな感情抱くこと自体、間違っていた。
冷静になれば分かることじゃないか、冷静になれば。
恋なんて一過性で、幻だ。脳の分泌物の作用、ただそんだけ。
分かってたことじゃないか。何やってんだ、俺。


「足立さん」


幻覚は終わりだ。終わらせなきゃ。せっかくいいコネもできそうなんだから、一過性のもののためにフイにしてる場合じゃない。
そうだろ、思い出せ足立透!俺はこんな田舎で燻って終わる人間じゃないだろ?
バカばっかのツマんねー場所で、終わる気なのか?いいや、違う!
エリートだろ、俺は!
あんな奴らと一緒にいちゃ、ダメだ。せっかくのチャンスだって、ダメにしちまう。


「今度は星、見に行きましょうね」


「くそっ・・・・・!」


頭じゃ分かってる、分かってるのに泣いてしまいたい。
今まで泣きたいことなんて沢山あったけど、我慢できた。
けど今回はどうしてもそれが、できそうにない。
アラサーの大人が、子どものようにみっともなく泣いてしまいそう、だなんて・・・・・ほんとう、笑えない。


ほんとう、冗談じゃないよ。