「どうしよう・・・・・・」


会いに行く!と豪語して学校を飛び出したにもかかわらず、鮫川で膝を抱えることになるなんて。
冷静に考えれば、足立さんは仕事中・・・・多分。
電話で確認するなり、メールするなり、連絡先は知ってるんだからどうとでもできるんだけど。
頭で分かってても、体が言うことをきいてくれない。


寒いどころか、少し汗ばむ陽気なのに、体が震えて仕方ない。
きっと緊張と恐怖からだろうけど、未知の体験になけなしの勇気も消えてしまいそうだ。
とりあえず、スマートフォンを出したものの、握り締めるだけで手は動かない。
今までだって緊張する場面には、数え切れないほど直面したし、怖い目にもあってる。


けど今回のことは、今までと比べ物にならなくて。
勇気だせ!と叱責しても、ネガティブな自分が表れては、傷つくだけだからやめろと囁き、勇気を奪っていく。
幾度繰り返したか分からない、スカートということも気にせず膝を抱え、顔を埋めていると。
ピピピピと電子音と共に、手のひらのものが振動し始め、ああ電話だと何も考えず、出たら。


ちゃん?』
「・・・・・・あ、足立さん?!」


あまりの驚きに飛び上がり、反射的に電話を切ろうとしたら、切らないで!と切実な声がスピーカーから聞こえ、そのまま耳にあてた。
昨日会ったばかりだというのに、久しぶりに呼んでもらえたような気がして、心臓がきゅっと握られたように苦しい。
どうしよう、これ昨日より酷くなってる。体全部が心臓みたい。


『えっと、久しぶり・・・・でもないか』
「そ、そうですね!」


声が裏返っちゃった・・・わ、笑われてるし!顔に熱が集中していくのが、嫌という程分かる。
うわあああと叫んで、スマートフォンと投げ出したい衝動に駆られたが、なんとか抑えて、黙ってスピーカーに耳を傾ける。


『ちょっと聞きたいことが、あるんだけど・・・・ようすけ、くんだっけ?あの子は君の彼氏?』
「ちがいます?!」


どこからどう見れば、そんなことになるのやら!
言い終わらない足立さんの声を、掻き消すくらいの大きさで叫んだことはちょっと反省。
けれどスピーカーの向こうの彼は、そっかと嬉しさを滲ませたような声で言った。
それに何故か安心させられると共に、好奇心も沸いてきて、勢いに乗じ、今なら訊ける!と自分を励まし、尋ねた。


「足立さん、は・・・・その、彼女がいらっしゃるんですか?」
『僕?まさか、いないよ』
「だ、だったら!あ、あの・・・女性は?」


昨日も抱きついていたし、それに・・・彼女自身に不用意に近づかないでと釘をさされた。
あの行動が恋人の嫉妬以外、何を表すというのか。
そうじゃないと、答えて欲しくてそれっきり沈黙してしまったスピーカーに、もしもし?と尋ねると、意を決したような声が返ってきた。


『えーと、ね?・・・・お見合いしたんだ、僕』
「おみあい?」


おみあい、おみあいって何だっけ?
えっと、確か結婚相手を探している人が、第三者の仲立ちを受けて、互いに様子を知り合う・・・・・だったけ?
けっこん、けっこん・・・・・・・・結婚って、あの、結婚?!
いやそれ以外に結婚なんて知らないけど、え、何?お付き合い云々より、人生のパートナーを探してたってこと?
何もおかしいことじゃない、だって足立さんは27歳だから。


そうだよ、大人にもなってない私とは違うんだから、大人なんだから。
あ、ダメ泣いちゃう。声変にならないうちに、切っちゃおう。
彼女さんがいてもショックだけど、結婚っていうのはそれ以上に衝撃的だ。


「う、うまくいくよう願ってます!もちろん足立さんだから、上手くいくと思いますけど!あの方とっても綺麗でしたし、お幸せに」
「『一言も結婚します、なんて言ってないよ?』」


スピーカーと重なるように、同じような声が聞こえた気が?
振り返っちゃダメだと分かっていても、体が勝手に動き、視界に捕らえたのは携帯で通話中の足立さん。
時間が止まったように感じた、もちろん気のせいで物理的な時間は流れていたけど。
やあ、と彼が陽気な声を上げたところで、ようやく我に返り、逃げ出そうと立ち上がったのに。


「そんな露骨に嫌がんなくっても・・・・」


苦いものを滲ませたような、少し苦しげな声にまた心臓がきゅっとなった。
このきゅっていうのは、さっきと違って温かな気持ちになったりしない、寂しいとか悲しいとかそういう暗い気持ちにさせた。
会いたかったのに、何故か分からないけど逃げたくなって、逃げたかったはずなのに、逃げたくなくなって。
足立さんのことを好き、だと思ってから自分が自分じゃないようで、怖いし、なんだか気持ち悪い。


でもちゃんと、向き合わなきゃ。
こっぴどく振られたって、あいちゃんが慰めてくれるって言ってくれたし、大丈夫。
精一杯自分を励ましていたのに、彼の一言ですべて台無しになってしまった。


「こっち向いて?」


無理、無理、絶対に無理!顔、真っ赤だし、全力疾走した、ううんそれ以上に心臓バクバク言ってるし、苦しくて無理!
首がすっ飛んでしまうんじゃないか、ってくらいぶんぶん振っていると、腕に感じていた圧力がふっと消え去った。
え、何で?腕を離されたことに、戸惑いを感じて反射的に振り返ってしまい、後悔した。
足立さんが同じ目線にいる。まずいまずいと顔を逸らそうとしても、ビクともしない。
なぜなら、彼が私の頭をガッチリ固定しているから。
口をパクパクさせる私に、足立さんがしてやったりと言わんばかりに、ニヤリと口元を吊り上げた。


「ズ、ズルイです!」
「うん?だってこうしないと、目合わせてくれないでしょ?」


目を合わせて話すのは、最低限の礼儀だと知ってるし、逸らすのは大変失礼で不快感を与えることも知ってるけど。
何でか分からないけど、できないんだもん!
実際に叫べたらどれだけよかったか、言える勇気もなく押し黙る。


「どうして、僕と目を合わすのが嫌なの?」


小さい子に尋ねるような、優しい優しい声だった。
それが何故か、とっても涙を誘って。
泣いちゃ、ダメ。泣くのはズルい、目の前で泣かれたら慰めざるを得なくなる。
そんなことさせたくないし、同情で慰めて欲しくもない。


それなのに、涙は勝手に後から後からポロポロ零れ落ちてきて。


「え・・・・え、ええ?!ちょ、な、何で泣いて・・・・!」


頭を掴んでいた頭をぱっと離し、面白いくらいにうろたえる足立さん。
いつもなら笑えるはずなのに、ちっとも笑えない、むしろ涙がとまらなくて。


「好きです」


気づけば、勝手に口から出ていた。
だって本当に好きで、どうすればいいか分からないんだもん。
だからって、もっとマシなシュチュエーションを選べばよかった。
泣いてるときに言うなんて、本当最低だ!
最後は、笑おう。ちゃんと笑って、それで、全部終わりにしよう。


乱暴に涙を拭って、満面の笑みを浮かべた、はず・・・・多分。
自分じゃどんな顔してるか見えないけど。
踵を返した途端、肩を掴んで押し戻される。
結構な力で掴んでいるようで、正直痛い。痛いです、と顔を顰めて正直に口にすると。


「ほんとう、ズルいなあ」


呆れ返った声でも、侮蔑を含んだ声でもなかった。震えて、擦れていた。
私が好きだと言ったときのように、今に泣き出しそうに。
顔をあげた反動で涙がポロリと零れ落ち、それを細長く綺麗な指が拭った。
優しくしないでほしい、そんな風にされたら募ってしまうから、勘違いをしてしまうから。


やめてください、と足立さんを引き離そうとした瞬間、腕の中に閉じ込められてしまった。
ずっと欲しくて仕方なかった温もりが、今はたださびしいだけで。
またポロリと涙が零れた。


「は、離してください」
「何なんだよちゃん、君本当にズルいよ」
「なに、を・・・・」


狼狽する私をよそに、あーもう?!と苛立たしげに声を荒げると、更に強い力で抱きしめられた。


「好きなんだ、ちゃんが」
「・・・・・・は?」
「だから、好きなんだって!」


すき、好きって・・・何を?誰が?好き、好き・・・・私を?
現金なことに、今まで流れていた涙はピタリと止まってしまう。


「あーその、お見合いのことは上からで断れなかったのと・・・・君がどういう反応するか見てみたくて」


ちょっとイジワルしたんだけど、言う前に見られちゃった。
抱きしめていた腕の力を緩め、距離を置いて、視線を交える。


「ようやく見てくれた」


足立さんの可愛い笑顔に、また心臓がきゅんとなった。
悲しいのじゃなくて、温かくて嬉しいほう、多分こういうのを愛しいっていうんだと思う。
涙の跡を指で辿るよう、頬を撫でる指が気持ちいい。


「ようすけくんと2人きりで楽しそうにしてるの見ちゃってさ。んで、昨日なんかちゃん泣いてたろ?もんのすごい、嫉妬して、んで諦めようとした」
「あ、あれは・・・・その」
「どうして泣いてたか、言いたくない?」
「は、恥ずかしくて言いたくないです」


まさか勝手に失恋したと仮定して、泣いてたなんて・・・・みっともなくて、言いたくない。
けれど足立さんが悲しそうに、そっかなんて呟くから、結局言ってしまったのだけど。
そうしたら、今までにないくらい極上の笑みを浮かべてくれて。


「そっかそっか!ちゃんはやっぱり、可愛いね」


ストレートな直球に思わず赤面してしまう。
この人、こんなことを平気で言える人、だったっけ?
とにかく話を逸らそうと、私を諦めた理由を尋ねると、今度は足立さんが黙り込んだ。
もちろん、そのままにしておくわけもなく、教えてください?と優しく頼んでみたら、ものすごく深いため息をつかれた。
そしてジト目で一言。


「それ、僕以外にやっちゃダメだよ?」
「何がですか?」
「特にようすけくんの前じゃ、絶っ対に、ダメ!」


いい?と有無を言わせぬ問いに、とりあえず頷いておくと、怒りたいような、困ったような微妙な顔をされてしまった。
まあ、それは後でと言い(流されたわけじゃなかった!)諦めに至った理由を教えてくれた。
歳が離れていて、上司の血縁者で、何より彼氏がいる。


「あの時は勘違いしてたからさ、んで自暴自棄になってやけくそで結婚しようかなと」


思わず顔が引き攣った。私と同じようなことで悩んでいたのは分かるけど、どうしてやけくそで結婚しようと思えるのか。
結婚は好きじゃなくてもできるんだよ、と平気な顔をして言うので、猜疑心が生まれたのは否めない。
彼もそれを感じ取ったらしく、ヘタうったと言わんばかりの表情を浮かべ、あの時はどうかしてたから、と乾いた笑みを浮かべた。


「でも・・・諦めなくて良かったなぁ」


ふにゃりと柔らかい、というより幸せでとろけきった笑顔を浮かべて足立が笑う。
ここ最近、彼の顔をまともに見られてなくて、それに想いを確認しあった後で気恥ずかしいというのに。
そんな幸せそうな顔を見せられてしまったら。
は溢れんばかりの愛しさに思わず胸を押さえ、じわじわと顔に熱が集中するのを感じ、ふいと視線を逸らした。


拗ねたようなの仕草に、足立はふと不安に駆られるが彼女の耳が真っ赤に染まっているのを見るや否や、またふにゃりと顔を緩めた。


「僕から言うつもりだったのに、先に言われちゃったなー」
「ご、ごめんなさい」
「うーん・・・じゃあ、もう一回」
「もう一回?」


鸚鵡返しをしたに、足立が微笑んだ。


ちゃん。好きだよ」
「え?は、はい!」
「言ってくれないの?」
「す、すす好きです!」


ドキドキ煩い鼓動を抑えて、言ったからか激しくどもり、それを訊いた足立さんは声を上げて笑い始めた。
人が真剣なのに、この人は!茶化さないでください、と怒ると、ごめんごめんと悪びれもしないで、再びを引き寄せる。


「心臓、ドキドキ言ってる」
「あ、足立さんだって」
「うん。すっげー緊張してるもん、僕」
「そんな風には見えないですけど・・・」
「そりゃあ、好きな子の前でくらい、かっこいいとこ見せたいじゃないか」
「・・・・・どうせ、子どもですよ」
「スねない、スねない。そこがちゃんの可愛いとこなんだから」


せっかく収まっていたのに、再び顔に熱が集中することになり、足立さんの笑いを誘った。
悔しくて、顔を見せないように肩に顔を埋めると、ちゃんと優しく呼びかけられた。
素直に顔を上げるのが癪で、恥ずかしくて。
ついぶっきらぼうに、何ですかと尋ねると笑いを滲ませながら、顔見せてとお願いされる。
ここで断れればいいのに、私も我慢できないところが子どもなんだよね。


ちゃん、僕と付き合ってくれる?」


不意打ちとはこのことで・・・・ああ、どうしよう、心臓壊れるかもしれない、本気で。
ふにゃふにゃと力なく肩にもたれかかると、大人がうろたえ始めた。
いい気味だと思いつつ、そのまま放っておくのも可愛そうだし、ちゃんと返事もしたいからぱっと顔を上げる。
戸惑う彼の胸から少し距離をおき、緩んでしまいそうな頬を2、3度パチパチと軽く叩く。


「私でよければ、喜んで」


驚く足立さんをよそに、頬にキスを落とし、その勢いでもう一度胸に飛び込んだ。
恥ずかしさに顔を埋めたままにしていたが、一向に背中に腕は回ってこない。
胸が不安を過ぎり、微かに顔を上げると、茹で蛸のように真っ赤に染まった顔を片手で抑えている、大人の姿。
顔だけでなく、首も微かに赤くなり、早鐘のような心音が伝わり、はますます愛しさを募らせた。


「好きです、大好きです」


首に回した腕に力を込めると、背中に腕が回り、ああ、うう、など言葉にならないうめき声に、思わず笑みが零れる。
なんでそんな積極的なんだ、とブツブツ言う大人に、ん。と頬を差し出した。キスしてください、と。
ピクリと動きを止めて、首を下げた足立さんにもう一度、ん。と頬を主張する。
変なとこで恥ずかしがるんだなと思っていると、チュっというリップ音と共に温かい感触が。
驚いて顔を上げようとした私に、続けざまに額、瞼、鼻先にちゅ、ちゅとキスの雨が降る。


「しかしえし」


余裕の顔で笑う足立さんに、心臓がドクンと音を立て、再び顔に熱が集中しているのを感じた、その時。
猛しいまでの電子音が響き、ビクリと肩を震わせた以上に、驚き跳ね上がる足立。
ポケットというポケットを漁り、出てきた携帯を見やり、顔色は赤から青に。


「死ぬかも」


とこの世の終わりのような顔をするので、ディスプレイを覗き込むと、そこには堂島の文字。
色々すっ飛んでたけど、仕事中だよね、普通に考えて。
離れたところからでも聞こえる叔父の一括に、先ほどまでの頼もしさはどこへやら。
背中が小さく見えるのは、見間違いなんかじゃないだろう。
可愛い、すんごく可愛い。30近い人を捕まえて可愛い、っていうのは変なんだろうけど、可愛いものは可愛いから仕方ない。


ってか見てないで、助けてあげないとだよね。
一応、か、彼女・・・・なんだし?
幸せを噛み締めるように、足立さんの彼女という言葉を心の中に響かせ、はとても幸せそうに肩を竦め、笑みを零した。
















2013.03.08 完