『それであいちゃんが怒っちゃって、もう大変で』
嬉しそうなちゃんの声に相槌を打っていると、自然と頬が緩むのを感じる。
自宅で誰にも見られないからいいけど、外でやったら変質者でしかない。
自重しないといけないのは百も承知なのに、すでに署でしかも堂島さんの前でやらかしている。
その度に気持ち悪い、気持ち悪いと言われてるよ。
でも今の僕には、そんなことは塵ほどに小さくて、どうでもいいことで。
あのちゃんが、俺の彼女になったんだよ!
無性に叫びたくなる衝動は一体何なんだろう、もう自分が変態にしか思えないんだけど、どうしたらいいんだろうか。
『足立さん?聞いてます?』
スピーカーの向こうでは、きっと彼女が口を尖らせているに違いない。だって、声がスねてるし。
付き合って1週間、意外に彼女が子どもっぽいことが分かった。もちろん、そこが普段とのギャップで可愛いんだけど。
どうでもいいことに気をとられていて、聞いてませんでした、とは言えずにちょっとぼうっとしちゃってと言い訳をすると。
『ごめんなさい、私が長く話ちゃうから・・・足立さん、お疲れなのに』
例え馬車馬の如く働かせていようが、ちゃんの声聞くだけで疲れなんて吹っ飛ぶよ!
付き合い始めの恋愛脳とはいえ、流石に素面じゃ言えず、ちゃんと過ごす時間がどれだけ楽しい時間なのか、遠まわしに伝えてみると。
『わ、私も嬉しいですよ?あ、足立さんとこうやってお話できて』
意味を汲み取った彼女は、しどろもどろになりながらも、そう素直に伝えてくれた。
心臓がきゅん、ってガラじゃないはずなのに30前のオッサンがそうなってる、それも人生初。
冷静になって考えれば、とんでもなく気持ち悪いことなんだけど。
そういう気分にならないんだよね。むしろこんなに心地よいものだったんだって、目から鱗。
職務中も気づいたらこんなこと考えてるから、気味悪がられるんだよね。
いつもお茶用意してくれる経理の柴崎さん(56)には、恋したねとシタリ顔で言われ、脱帽してしまった。
女の第六感は恐ろしい、っと。
「そういえば、もうそろそろテストじゃないの?」
日付は6月の下旬を指していて、夏休みは多分7月下旬くらいから。
そこから導き出される日にちは7月中旬。もう2週間前くらい、か。
スピーカー越しのうんざりした声に、予測が確信に変わる。
「数学と古文、大丈夫そう?」
先月の考査で、その2つ赤を取ってしまい俺がエセ家庭教師を務めた訳だが。
『今回は大丈夫・・・・・じゃないです、教えてください!』
今の間は何だったんだろうと首を傾げつつ、勉強を教えるという大義名文を掲げて堂島家に乗り込む。
もといちゃんと会える時間が増えることに手放しで喜んだものの。
「こんばんわ、お待ちしてました」
出迎えてくれるのはちゃんの笑顔、とか思ってた一瞬前の俺。
今からでも遅くはない、その甘い考えを捨てろ。でないと、いらぬダメージを食らうことになる。
期待してて与えられないときの失望感といったら・・・・何度経験したっていいもんではないね。
仁王立ちで待ち構える想い人の兄とその後ろで、申し訳なさそうにしているちゃん。
そんな顔してほしくないけど、それも可愛いと思う俺、重症すぎると思っていたら。
「どうぞ!お上がりください」
思考を断ち切るような声色にビクリとして顔を上げて・・・・・・・・後悔した。
無意識に頬を緩ませたであろう、自分に。
羅刹がいたよ。彼なら般若の面と称しても問題ないけど、純然たる男だから羅刹で。
とどのつまり、怖かったってこと。美形は顔を歪ませても美形だけど、その分怖いというか。
でも所詮17歳。伊達に悠くんより10歳年重ねてないからね、そんなことじゃ凹まないんだよ、堂島さんの方が怖いわ、ざまーみろ!
「ありがとう。ごめんね?わざわざ・・・・お兄さん」
最後のはもちろんちゃんには聞こえないように、すれ違いざまに小さな声で。
どうぞと居間へ促してくれる可愛い彼女と、たわいない話をしつつソファーに腰を下ろした時、ようやく廊下から姿をあらわした悠くんは。
あー・・・・なんていうか、その、火に油?
「せっかくなんで、俺にも教えてくれますか?」
面白がって煽った結果、全部自分に返ってきてしまった。
悠くんの本気を見たというか、ただ自業自得なだけなんだけど。
当然の如くちゃんと2人きりにしてくれるはずもなく、居間で双子とお勉強。
部屋で2人きり、変な気が起きないでもない、な俺の夢をそれはもう見事にブチ壊してくれた。
ガキといえども、侮っちゃいけない。色々やられたから、たまにはと思ったらコレだもん。
やぶ蛇どころか、蛇が大群になって襲ってきたようなもんだよ。
「足立さんのお陰で赤、とらずに済みそうです」
ほっとした顔で笑うちゃんに免じて、今日のところは根に持つのはやめておこう・・・・原因は俺だしね。
日付が変わる前、堂島さんが帰宅し入れ替わるように帰宅することに。
職務もこの位やる気を持ったらなと、ボヤく上司の言葉は聞こえないフリをして、見送りますと言うちゃんと共に玄関へ。
「降ってきちゃったか」
天気予報での降水確率は10%だったから油断していた。傘、持ってない。
幸い降り始めで、パラパラというのが救いだ。
急いで帰れば、そう被害にあわないだろうとちゃんにまた明日と告げ、屋根から出ようとしたら。
「待ってください!傘、ありますから。風邪なんてひいちゃったら、大変!」
逃がさないとばかりに、俺の腕に自分の腕を絡ませると、再び玄関を開け、ビニール傘を取ると俺に差し出した。
近くなった距離、2人きりという状況にドギマギしつつ、大丈夫と告げてみるも、頑として譲らず傘を差し出す。
なぜか仄かに頬を赤く染め、視線をあちこちに彷徨わせて。
「そうしたらまた、会えるでしょう?」
「ちゃん・・・」
「わがままなのは分かってます。あんな提案したのも私ですし」
顔を曇らせる"提案"というのは、付き合っていることを公にはしないこと。
堂島さんには、折を見て打ち明けるけど・・・・・・今からちょっと憂鬱なのは、梅雨のせいということにしておく。
ともかく、刑事という職につく俺と、未成年の彼女。退屈してる田舎町には、格好の餌食だろう。
本人同士がいくら真剣だと言い張ったって、世間がはいそうですかと言うわけもなく。
17歳でそれを理解しているちゃんが、そう切り出した。
「一緒にいたいから、不安要素はなるべく排除したいんです」
これで調子に乗らない男はいないでしょ。
今思えば、ここで心臓がきゅんってなる体験が何と言うか、初めて考えたような気がする。
雑音はなるべく排除して、二人きりに専念したいっていう俺の気持ちがダダ漏れだったのか、ちゃんもそう思っててくれてたのか。
私的には後者希望だけど、とにかく付き合ってすぐ2人でそんな約束を交わした。
理性的なことはいいことだよ、むしろ大賛成。でもやっぱり。
「寂しい?」
大人ぶってみたものの、俺はそうだよ少なくとも。
今だって抱きしめたいのを懸命に堪えてるんだから、これでも一応。
ちゃんもこんな顔をしてるんだから、きっと同じ気持ちだろうけど、でも直接彼女の口から聞いてみたい。
俺に対する"希望"ってやつを。
これは"わがまま"を言われたい俺の"わがまま"だ。
言ってごらんと言わんばかりに、ん?と優しく先を促して、頭を撫でる俺はしまらない顔、してるんだろうな。
きっとこんなとこ上司とあのお兄さんに見られたら、露骨に顔を顰めて気持ち悪いを連呼される気がする。
頭を撫でられているちゃんは、しばらく考えた挙句、苦い笑みを漏らした。
「ダメですね。分かってるのに」
「それは俺も同じ。もっとちゃんと一緒にいたいし、触れてたいよ」
流石にここじゃ抱きしめるにはリスクが大きいと、譲歩して指を握ると彼女はすぐそれを解き、逆にしっかりと指と指とを絡ませた。
所謂恋人つなぎって奴。ちょっと驚いてちゃんを見ると、悪戯が成功した子どものような笑顔を浮かべていた。
「よかった、私だけじゃなかったんだ」
それどころか抱きしめたいし、色んなとこに触れたいし、キスしたいし、それ以上も・・・・・いや、いかん。今は考えちゃいかん。
せめて家に帰るまで・・・・・うん、白状するよ。夜のオカズはちゃんです。
不思議なことに彼女以外じゃできなくなっちゃってさ、パソコンに入ってる秘蔵映像も不要なものになっちゃった。
不能なのかと心配していたら、そうじゃなかった。まったくもって違っていた。
好きな子でしかイけないってやつ。反応はするんだよ、するのに達せない。
まさかそんな漫画のようなこと、あるわけないだろうと思ってたら、ねえ・・・・つい、試すじゃない?
頬を蒸気させて、目を潤ませ、あられない姿で足立さん、なんて呼ばれたら・・・・・・・・もう皆まで言うまい。
今は妄想してる場合じゃない、とにかく荒ぶるのは後でいいから、ちゃんと集中しろ俺。
「また、デートしようよ。なんとか土日に休み取るから」
「ほ、本当ですか!」
途端に満面の笑みを見せるちゃんに、俺も釣られて破顔する。
ああでも、やばいな。手を繋いでるだけじゃ足りなくなってきた、キス、したいかも。
きっと隣にいる彼女は、俺が邪な想いで一杯なんて露ほども思ってないだろうな。
「沖奈でなら隣歩いて、大丈夫ですよね?で、でも!足立さんといられるなら、どこでも」
顔を赤らめて、しどろもどろになりながらはにかんだちゃんに、何かが弾ける。
俺は悪くない、煽るようなことをわざわざ言うちゃんが悪いんだ。
一応誰かに言い訳をして、道路から、居間から、玄関から見えない死角に引っ張り込むと、バランスを崩した彼女が胸の中に飛び込んできた。
すかさず閉じ込めてしまうように、細腰に腕を回し、首に顔を埋めた。
柔らかくて、細くて、これ以上力を入れたらポキっと折れてしまいそうな体、花の蜜のような甘い香りが鼻梁をくすぐる。
庇護欲に駆られると共に、情欲もムクリと鎌をもたげて。
流石にこれはマズいと離れようとした瞬間、背中を伝って回る手にビクリと体が震え、微かに距離をあけてちゃんを見ようとしたら、更に力が篭った。
離れたくない、と言わんばかりに。
「えっと・・・ちゃん?」
「見えてないから、だからちょっとだけ」
困惑する俺をよそに、胸に顔を押し付けたまま、くぐもった声でお願いされたら、断るわけにはいかないでしょ?
だって俺もこうしてたいし・・・・・かといって、これ以上はマズいよな、うん。分かってる、分かってるよ。
静まれ俺、そして愚息。ここには鬼とその子分がいるんだぞ、抱き合ってるのも自殺行為に等しいんだぞ!
ほぼ衝動で行動に出てしまったのは俺が先だけど、ちゃんも嫌がらなかった・・・・よね?
なら今がタイミングなんじゃないの?キス、すべきでしょ。
付き合って一週間、俺たちはキスさえ交わしてない。頬やら髪やらにはしたけどさ、唇はまだなんだよ。
タイミングがつかめないでいたんだけど・・・・これは、いかなきゃダメだろ!?
「ちゃん、キスしていい?」
もっと気の利いたセリフでも言えたらいいのに、そう世の中うまくいくようにはなってない。
ストレートすぎた問いに驚いたのか、胸に顔を埋めたままだったちゃんが勢いよく顔をあげた。
熟れた林檎のように頬を赤らめて、口を何度もパクパクさせた後、聞き取れないような小さな小さな声ではい、と返事をした。
微かに顔を上げ、目を潤ませて、更に俺のシャツなんか掴んじゃってさ。
世界共通語でいうところのノーじゃないよね、そんなオチつくってないよね?
疑り深い俺は彼女の頬に両手を添え、そういう雰囲気に持っていったら、目をつぶっちゃって。
しかもぎゅって、ちょっと怖いっていう風に。
受け入れてくれることに対する喜びと、怖がらせたくない気持ちが爆発して、とりあえず両瞼にキスを送ると、くすぐったいと言わんばかりに瞼がフルリと震えた。
それが可愛くてもっと見たくて、ずっと触れていたい気持ちと相俟って鼻先や頬にもキスをし、もう一度彼女の名前を呼ぶと、首をすぼめながらも微かに瞼を開けた。
大きく開かれたアイアンブルーの瞳に映るのは、俺だけ。
今ちゃんの視界も、思考も全てが俺にむけられてる、俺だけに。
「足立さ、ん」
キスするとき、目をつぶるのはマナーだよね?分かってるけどさ、目なんか閉じたくない。
ちゃんを焼き付けておきたい、他の誰も知らない、可愛い可愛い彼女を。
アイアンブルーの瞳が閉ざされてしまったのは残念だけど、もう怖がっていないようだから、とりあえずよしとする。
互いの吐息が感じられる距離、唇まで数センチというところで、ふいに玄関からガタンと音がした。
2人ともビクリとして、反射的に距離を置いて振り返ると、引き戸には人影が一つ。
確認するまでもない、悠くんだ。
「12時過ぎましたよ、シンデレラを返して下さい。じゃないと恐ろしい鬼に食い殺されますよ」
色々突っ込みどころ満載なんだけど、突っ込むどころか俺は地団駄踏みたい気分だよ!
悪態ついて、舌打ちだけじゃ足りない。全っ然足りないね!
引き戸を開けないとこは褒めて差し上げたいけどさ、このタイミングは何なのさ!?
任せるとか言っておきながら、これだもんな。ほんとう、世の中クソだな!
「な、何変なこと言ってんの?!ででででは、おやすみなさい、足立さん!」
捲くし立てるよう、顔を見せず傘をぐいぐい押し付けてシンデレラは帰っていった。
顔だけでなく、その耳まで真っ赤に染めて。
またしても番犬にやり込められたことに腹は立つが・・・・
「ま、焦らなくていいか」
可愛い可愛いシンデレラのことを想いながら、非常に満たされた気持ちで帰路に着くのだった。