13:大変な人に気に入られたもんです


  じー……っ。

突き刺さるような、無遠慮な視線をひたすらに黙殺し、完二はぬいぐるみを繕っていく。
相手にしたら負けだ。
かたくなに自分に言い聞かせながら。

  じー……っ。

視線は熱く、ぬいぐるみを繕う完二の手に注がれている。
自分の意思とは裏腹に汗ばんでくる手を、完二は苛立たしく思う。
相手にしたら負けだ。
思いは強迫じみていく。

  じー……っ。

視線は一瞬たりとも完二の挙動を見逃さない。
完二には、手に穴が開くのではないかとさえ思えた。
指先から緊張が伝わってしまいそうで、動揺する心を暴かれてしまいそうで。
完二はぐっと眉を顰め、ついに、みずから負けを選んだ。

「何なんスか、先輩!」
「完二くんを見てる」
「んなこたわかってっスよ!」

被服室にいつものミシンのリズムはない。
手芸部の二年生、はとっくに今日の目標活動量を達成させていた。
向かい合った彼女の手元には、完二の目から見ても見事な刺繍を施されたクロスが仕上がっている。
―――このヘンテコな先輩は、こういうどうしようもなくヘンテコなところさえなければ、普通に尊敬できる先輩なのに。
完二はよっぽどそう言ってやりたくなった。けれど、初めてに出会った(彼女にとっ捕まって手芸部に入部させられた)日のことを思い出し、やっぱそれはねーな、と思い直した。

「んな風に見られっと気が散るんスよ!」
「ん……、そっか。ごめんね」

先ほどの不躾な視線攻撃が嘘のように、がしゅんと肩を竦めるものだから、完二はうっかり毒気を抜かれてしまった。
つぎたかった文句も言えなくなってしまい、居心地の悪い静寂が下りる。
気まずさに背中を蹴られ、完二は慌てて沈黙を破った。

「や、オレ、どっか変……とか、スか?」

は少しだけやさしくなった完二の声にぱっと顔を綻ばせる。
そしてふるふると首を振り、すっかり休んでいる完二の手にそっと触れた。

「あのね。手が、綺麗だなぁって」
「は―――あ、えっ?」

やわらかく絡みつく、少しひんやりとした指の感触。
それでいて、反射的に引っこみかけた完二の手を少しも逃がさない。

「こんなに大きくて逞しい手から生まれるものが、こんなに繊細で可愛らしいなんて、すごくアンバランスで……」

するりと手の甲を撫でられ、完二はびくっと震えた。
完二の男らしい、無骨な手の輪郭をなぞるように、の手がゆるやかに滑る。

「だからこそとっても綺麗だなぁって、見とれてただけなの」

耳がくすぐったい。
手のひらが熱い。
心臓が馬鹿になったようにどくどくと逸りだす。
すげなく振り払ってしまえばいいとわかっているのに、完二にはそれができなかった。

先輩……っ」
「なぁに?」
「は、離して下さい……針、アブネェしっ」

そうだ、うっかり針が当たってしまったら大変だから。
そんな風に心の中で言い訳をしている自分が、情けない。
少し温まってきたの指の熱を離しがたいのは、自分のほうではないのか―――?
完二と限りなく一体の者が心の奥から囁きかける。
そんなことはない、と反論する完二の心を塞ぐように、が言葉を紡ぐ。

「完二くん、わたしに触られるの、いや?」
「は!? や、そういう問題じゃっ、」
「わたしはね、完二くんの綺麗な宇宙の出口に触れてるんだって思って、どきどきしてるよ」

完二は目の前が眩んだような錯覚をおぼえた。
―――どうしてこの人はどこまでも、臆面もなくそんなことを!
完二にはの宇宙の法則が掴めない。
ふわふわと漂うの言葉を上手に呑みこめなくて、頭の中ばかりがぼうっとした熱に浮かされていく。

「完二くん……―――」

がたん、と椅子が鳴った。
あ、と思ったが完二は動けなかった。
互いの手を重ねたまま、机越しに近づいてくるから、ただ、目を逸らせない―――



  キーン コーン カーン コーン 。

「あ、下校時刻」

チャイムの音で、あっけなく。
何事もなかったかのように、完二は解放された。
―――いったい、今のは何だったのだろう―――?
―――もしもチャイムが鳴らなかったら―――?

「完二くん、帰ろう?」

さっさと帰り支度をまとめたが、呆然としている完二に声をかける。
魔法が解けるように。
完二は歯を噛み、絞り出すような呟きをこぼした。

「マジ……っオレ、先輩、嫌いっス……!」
「んー? わたしも完二くん大好きだよ」
「〜〜〜っ、『も』じゃねェでしょうがぁ!! なんっっでそういう返しになんだよぉ!!」

完二はがーっと吼え、荷物を乱暴にまとめると被服室を飛び出した。
待ってよ完二くーん、と追い縋る声には振り向かず。

「惜しかったなー……」

苦笑まじりに悔しがる声には気がつかず。
赤い顔を誰にも見られないようにと祈りながら、黄昏に染まる八十稲羽を駆け抜けていった。