14.重ね合わせた迷子の手




「足立さん、ここ、ですか…?」

 ぎゅっと強く握る。
 両手を使って。
 硬化したその部分を探り当てるように揉みしだくと、足立が心地よさそうに声を漏らす。

「あ…そう。いいよ、そこ」
「すごく、硬くなってますね。気持ちいいですか…?」
「うん。ちゃん、やっぱり器用だよね。肩揉むのも上手〜」
「『も』って……もう」

 十歳年上の恋人が言下に潜ませた意図は無視して、は肩揉みを続ける。

 二人、足立の部屋で過ごす穏やかな夜。
 肩こりがツライと足立が漏らすので、ひさしぶりに湯船を満たして入浴したのだけれど、連日のデスクワークで溜まりに溜まった疲れは取りきれなかったらしい。

 そこで、彼女らしくマッサージでもしてあげようと思い立った。
 実際にやってみると、足立の両肩はかなり張っていて揉み甲斐のある状態。

「あのさ、もうちょっと背中のほうも押してもらっていいかな?」
「えーと…このあたりですか?」
「そうそう、その、骨のとこ」

 湯上りのせいで、いつもより体温の高い背中。

 色あせたTシャツの布地ごしに、肩甲骨のあたりを親指で強く押した。
 これは、なかなか。

「うわ、こっちもヒドイですね」
「でしょー?」
「岩石みたいです」
「苦労してるからねぇ」
「はいはい」

 苦労って。
 だいたい足立の場合はほとんど自業自得なのだ。

 あの殺人事件に限らず、数回見かけた仕事中の様子にしてもそう。
 世の中の人間を、『何か問題を引き起こして周りを巻き込むタイプ』と『他人が起こした問題に巻き込まれて後始末をさせられるタイプ』に分類するとしたら、足立は確実に前者だと思う。

 それでなぜがこんな男を好きなのか、深く考えるのはひとまず保留。
 今夜は、足立の肩こり解消というミッションに集中することにする。

「このへんとか、どうですか?」

 手を移動させて、首筋の、髪の生え際を指圧してみると、

「いたた!ちょっ、強すぎ!」
「あ、すいません。…このくらいで、いいですか?」
「…はぁ〜…そう、そのくらい」

 ほう、と足立が深く息を吐き出す。
 肩の力が抜けていくのがわかる。

 悪くない気分。

「あ〜、ありがと。もういいよ。だいぶ楽になったから」
「それは何よりです」
「なんかお礼したいなぁ〜。交代しようか?」
「え、いいですよ別に。ていうか、あたしそんな肩こりないですから」
ちゃんのことも気持ちよくしてあげたいんだけど」

 そう言う足立の目つきは、どことなくねちっこい。
 肩揉みの話のはずだが、頭の中では何を考えているのやら。

「…遠慮します」
「そう?あ、そーだ。髪乾かしてあげようか?」
「え?」

 お風呂から上がって、すぐに肩揉みを始めてしまったので、まだは髪を乾かしていなかった。
 今の時期だから、濡れたまま放っておいても風邪をひく心配はないだろうけれど。

「美容院ごっこ?」

 言いながら、足立はドライヤーを手に取る。
 が足立の部屋に入りびたるようになって持ち込んだものだ。

「あの、長いから、けっこう面倒だと思いますけど…」

 普段は三つ編みで結わえているロングヘアだから、乾かすのにも時間がかかる。
 足立がのために何かしたい、と考えてくれるのは嬉しいけれど。

「いいからいいから」

 自分はベッドに腰掛けて、フローリングの床に置いた座布団にを座らせる。

 ドライヤーのスイッチを入れると、髪の根元から丁寧に温風を当ててくれた。

 傷みやすい毛先は避けて。
 一部分だけに熱が集中しないように。
 ただ乾けばいいっていう感じじゃなくて、ちゃんと、労わってくれている。

「熱くない?」
「はい…。すいません、すごいテキトーにされたら怒ろうと思ってたんですけど…怒れませんね」
「そっか。この前、雑誌でやり方読んだんだよねー」
「え!?……足立さん、女性誌なんか読むんですか?」
「違うって!普通の、メンズの!『アラサーから始める夏の頭皮ケア』!」
「ああ、そういう…」

 オデコのあたり、やっぱり気にしているんだろうなぁと思うと、ちょっと笑ってしまう。

 足立の指先が地肌をかすめていくのを感じながら、今度、髪に良い食品のレシピでも調べておこうとは考える。
 最近はジュネスのタイムセールに釣られてキャベツ料理にかたよりがちだったけど、代わりにワカメを使ってみるとか?

「ていうか、ちゃんって僕のこと信頼してくれてるんだねー」
「…?」
「髪、こんなふうに触らせてくれるなんてさぁ」

 髪の下側から指を差し入れて、あいだに風を通しながら足立が言う。
 全体に温風が行き渡るように工夫してくれているみたいだ。

 いつも自分でやるより、早く乾いているような気がする。

「そうですね。技術はともかく、気持ちは。足立さん、あたしが本気で嫌がることは、できないでしょう?」
「どうかなー。いきなり、何か恐いことしちゃうかもしれないよ?」
「足立さんになら、基本何されてもいいですよ」
「ほんとに?」
「怪談だったら耳塞ぎますし」
「あはは、そういうのじゃなくてさー」

 カチ、とドライヤーのスイッチを切って、足立がベッドから腰を上げる。
 髪はもうほとんど乾いていた。

 どうするのかな、と思っていると、の恋人は手を伸ばしてペン立てから引き抜いた。

 何を?
 ハサミ、を。

「たとえば、ちゃんの髪の毛、ばっさり切っちゃうとか」
「え…なんで…」
「何されてもいいんでしょ?」

 ひさしぶりに見る、愉しそうに歪んだ眼差し。
 何されてもいいなんて軽々しく口に出すものじゃない、と後悔しても後の祭り。

 どうしよう。
 でも、どうして?
 もしかして、長い髪、嫌われてた?

 そういえば山野アナはショートカットだったし、あんな感じのほうがいい、ってこと?

 それって。
 結局、はあの人の代替品でしかない――のだろうか。

「足立さ、」
「動いちゃダーメ」

 あっというまに髪を一房、掴まれて。

「や…っ」
「怪我したくなかったらおとなしくして」

 そのまま髪の根元に刃先を差し入れられて。
 地肌に冷たい金属が当たって、背に寒気が走る。

 恐くて、反射的に目をつぶった直後、

 ざくりと無残に切り落とされた髪が床に舞い落ち――なかった。

「え…?」

 代わりに、ちょきん、と軽い音が聞こえたかと思うと、

「はい、コレ」

 目を開けたに、足立が何かを差し出す。

 一本の髪。
 だけど、色がない。
 これは。

「乾かしてたら、見つけちゃったから」
「なん、ですか…これ…?」
「何って。若白髪でしょ」
「えー!?」

 白髪。
 じゃあ、それだけ?
 からかわれて――ひとりで、深読みしすぎただけ?

「あれ、ちょっと目潤んでる?」
「う…っ」
「何、本気にしちゃった?ちゃん、カワイイな〜」

 言いながら、足立は小さい子にするみたいによしよしと頭を撫でてくれる。
 硬直しているをそっと抱き寄せて、軽くほっぺたに口付けて。

 一瞬、気持ちがなごみかけるけど、違う。
 こんな。

「……足立さん」
「ん?」

 きょとんとしている足立に背を向けて、は自分の鞄から本を取り出した。

「の…」
「の?」

 まだ読み途中の、『THE外道』を振り上げる。

「ばかぁぁぁッ!!」

 足立の悪ふざけを本気にしてしまった自分が恥ずかしくて。
 いたたまれなくて。

 ていうか、現役女子高生なのに白髪なんて悲しすぎて。

「うわ、ごめん!ごめんッ!!」

 表紙でバシバシ足立を殴りつけながら、

「なんッで、ややこしいこと言うんですか!あたし恐がらせて、そんな楽しいですか!?」
「いや、だから、好きな子ほど苛めたいって!そういう男心!」

 ガキか、ほんと。

 攻防を続けているうちに、足立を窓際まで追い込んでしまった。
 そのまま、は窓を開ける。
 網戸も。

「ちょっと頭でも冷やしてきてください」
「へ…っ?」

 最後に一発叩き込んで、足立をベランダに追い出す。
 間髪入れずに窓を閉じて、施錠。

『ご、ごめん…そこまで怒るなんて思わなかったからさ…!』

 コツコツと足立がガラス戸を叩くけれど、無視。

『あのさ、外、霧出ててけっこう冷えるんだけど!湯冷めしそうなんだけどー…』
「すればいいんじゃないですか?」
『ていうか僕、下、パンツだけだし!通報でもされたらどうするのさ?』
「知ったこっちゃありません」
ちゃーん…』

 いつになく弱々しい表情の足立が、助けを求めるみたいに、窓に手のひらをくっ付ける。
 すぐにでも部屋に入れて抱き締めたいような気分になるけれど、それで調子に乗られるのも悔しくて、は自分の手を、ぺたりと足立の位置に合わせた。

 ガラスごし、二人、迷子みたいに重ね合わせて。


...END