ここで彼らの無事を祈って、待ってる他ないんだろうか?
けれど、帰ってこれる確証はない。
もう一度試に、とテレビ画面に触れようとした時だった。
「君・・・?」
なんとなく振り返ると、スーツを着た若い男が目を丸くして、こちらを見ていた。
全体的にダラしない印象の彼は、猫背のまま向かってくる。
誰だろう?首をかしげていると、男性は苦笑を浮かべた。
「俺のこと、分かる?」
「あの・・・・いいえ」
申し訳なさに肩を竦めると、彼は乾いた笑いを浮かべ言った。
「昨日ハンカチ貸してもらったんだけど・・・覚えてる?」
「・・・・あ。ゲロってた」
思わず口に出してしまうのは、よくないクセだと思ってる。
思ってるけど、もう聞こえてしまっては仕方がない。
顔を引き攣らせる彼に、頭を下げた。
「すいません・・・」
「や、本当のことだし・・・・ええっと、僕が言いたかったのはハンカチ返そうって思ってて。でも僕が使ったやつ洗って返すのも、失礼かなって」
視線を泳がせ気まずそうに言い澱む様子に、思わず笑みを零すと、彼は目を瞬かせた。
「そんなに気を使わなくたって。洗って返して下さっても、捨ててもどちらでも」
「えっと・・・じゃあ洗って、返すよ」
頷くと彼は辺りを見回し、とろでと切り出した。
「ここで何してたの?君、一人?」
彼の言葉でまた現実が戻ってきた。
はっと息を呑んで、テレビに視線をやると彼もそれを追いかけ、首をかしげた。
テレビが何だ、と言いたげに。
「あのっ、刑事さんですよね?」
「え?ああ・・・うん、そうだけど」
「テ、テレビに」
「テレビが、どうしたの?」
助けて、と口から出る寸前で我に返った。
どうして"この人なら"と思ってしまったんだろう?
微かに首を振り、無理やり笑顔を作った。
「もうすぐ地デジ化でしょう?テレビ買い替え予定で、見にきたんです」
「そういえば、今年だね・・・・それで、僕が刑事なのがどう関係あるの?」
ダラしない印象を受けるからか、ヌけてるのかと思いきやそうではなかったようで。
他意はなさそうだけど。不自然に慌てたりしないよう、平静を装いながらこたえる。
「堂島って、分かりますか?叔父なんですけど」
「ええ?ぼ、僕堂島さんの部下・・・ってか、相棒」
相棒には見えなかったけど。激を飛ばされていた光景が浮かんだが、突っ込むことでもないので、黙って頷いた。
「両親の仕事の関係で、1年間堂島家に居候するんです。鳴上って言います」
「僕は足立透、よろしくね」
「はい。えっと、もう一人双子の兄がいるんですけど、またお会いしたら紹介しますね」
「二卵性双生児なんだ?うん、楽しみにしてるよ」
笑顔で頷く足立さんに、あなたはここで何を?と返すと、血色の良かった顔が、みるみるうちに青くなる。
「ちょ、ちょっと息抜きに、ね!さてもう戻るよ。僕堂島さんの家にお邪魔することもあるだろうし、ハンカチはその時に!」
私が首を縦に振ったのを見やり、足立さんは慌てて踵を返していった。
サボリだな、あれは。
心配する義理じゃないけど、叔父さんに怒られるんだろうな。
皺でヨレた背広を見送った後、何も解決していない"問題"に振り返る。
真っ黒なテレビ画面は、触れても変化なく、手のひらの熱を全て奪い取ってしまうくらいに冷たくて。
不安で押しつぶされそうなのは、私だけじゃない。向こうに行ってしまった彼らも同じだろうから。
待っていよう。彼らが無事に帰ってくるのを。
大画面テレビの前に一人佇むこと1時間、画面が水面のように揺らめいたと思ったら、人間らしき手が勢いよく飛び出した。
その手を取ろうと、一歩前にでると同時に人の塊がドサッと音を立てて、放り出された。
痛いと呻く3人は、入る前と変わらず、怪我もしていないようだ。
「か、帰ってこれた・・・・!って、ちゃん?!」
また3人と会うことが出来たと思うと、一気に力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「よ、よかった・・・・私一人で・・・どうしたらいいか、分かんなくて」
「落ち着け。とりあえず、誰も怪我してない」
真っ青な顔の妹を諌めるため、頭を撫でると、今にも決壊しそうな液体はひっこんだらしい。
安堵したように笑みを浮かべてたを立たせてやると、痛みから立ち直った2人が顔を見合わせていた。
「なんか、なあ?」
「うん・・・なんか、恋人みたいだなあって」
「そうかな?普通だよ」
頷きあう双子に、2人はまたも顔をあわせて肩を竦めてみせた。
「お前らのほうが、恋人っぽいぞ?」
「んな訳ないでじょ?!人目も憚らずに立ちションしようとする奴!」
「え・・・・・・」
「誤解を生む発言やめろって?!違うからな、。これには深いジジョーが」
「生理現象だしな、漏らすよりよっぽど」
「鳴上!お前ちょっと黙ってろ?!」
結局花村くんは、立ちションしなかった。ということで話がまとまり、話題はテレビの中での話しに。
テレビの収録スタジオのような奇妙場所に放り出され、出口を探して彷徨いたどり着いたのは、マンションの一室。
顔だけが破られたポスターが、壁一面に何枚も貼られその上には、血と見間違うような塗料がべったりと。
極めつけは、天井から垂れ下がった一本のロープ。先にはスカーフで出来た輪、その下にはイス。
明らかにまずい配置に、気味が悪くなり元の場所に戻ると、きぐるみのクマがいて。
「そいつが帰してくれたんだ」
「信じてない・・・よね?」
千枝ちゃんの苦笑いに、首を振る。
「信じてないんじゃなくて、ピンと来ないの・・・・体験してないから、かなあ」
「どちらにせよ、俺は今日のこと夢ってことでまるっと忘れるわ」
うんざりだと肩を落とす花村くん。
よっぽど嫌な思いをしたらしい。立ちション未遂のことも含めて。
「これ・・・・」
「何?どうしたの」
とあるポスターを見て、顔色を変える悠。
何かと世間を賑わせている、不倫騒動の関係者"柊みすず"のポスターだ。
これがどうしたというのか。兄と一緒に首をかしげていると、あ!と今度は千枝ちゃんが声をあげた。
「これ、例の顔なしの!」
「間違いないだろ。でも何でコレがあの世界に・・・・」
このポスターが顔だけが破りとられ、壁一面に貼っているのを想像したら、ゾワリと鳥肌が立った。
寒気に手を摩っていると、青い顔をした千枝ちゃんが帰ろう。とポツリ漏らし、今日は解散となった。
「悠、一緒に寝ても、いい?」
案の定、というか・・・部屋にやってきたに悠はため息をつきながらも、狭いスペースに妹が眠れる場所を作ってやる。
申し訳なさそうにしながら、がその場所に潜り込んだ。
肘をついた上に頭を乗せる―いわゆるオヤジ寝をし、と向き合う。
いつも明るい肌色が、青白くなり彼女を不健康そうに見せている。
何も言わないが、気分が悪そうだ。なんとなく、背中をさすってやるとようやくヘニャリと笑みを見せた。
「ありがと。ちょっと楽、かも」
「早く寝てしまえば、明日にはケロっとしてるさ」
幼子をあやす様に、背を一定のリズムで叩いてやれば数分もしない内に、完全に瞼が閉じた。
元々寝つきはいいが、今日はそれが顕著に現われている。
安らかな寝息を立てているを見ながら、放課後の出来事を思い返し、ため息をついた。
ベルベットルームのことといい、テレビの中に入れることといい・・・・超常現象との遭遇率の高さに、頭痛がする。
も夢見がよくないみたいだし、新しい環境に想像以上のストレスを感じてるのだろうか?
ストレスからくる幻覚かも、と一瞬頭を過ぎり、すぐさま否定した。
夢の中のことはともかく、テレビに入ったことは幻覚と一蹴するには、かなり苦しい。
あっちに入ったときに、会ったクマが言っていた"こっちに人を放り込む"という言葉。
クマの話が本当だとすれば、俺以外にもテレビの中に入れる人がいる、ってことに間違いない。
その人が、他者を放り込んでいるということにも。
そしてクマはこうも言っていた。入ったら、出られない。一方通行なんだと。
俺たちはそのクマが出口を用意してくれたから、出られたものの・・・・・出会わなければ、ずっとあっちを彷徨っていたかもしれない。
ずっと、というのはどのくらいなんだろうか?
そして出られない人は、一体どうなるのだろう?
"死"という言葉と、ベルベットルームで宣言された"災厄"が脳裏を過ぎり、頭を振った。
考えすぎだ。ミステリーやサスペンスを見ているから、こんな考え方をしてしまう。きっと、そう。
眠ってしまおう。眠ってしまえば、気にならない出来事として、記憶の角に追いやられているに違いない。
いいや、そうするべきなんだ。
隣で眠るの頬をツイと撫で、自分も目を閉じた。
視界のすべて、濃い霧で覆われていて視線を左右に彷徨わせても、何も見当たらない。
ああ、またか。
これは夢だけど、普通の夢じゃない。ぼんやりと頭で思っていると、突然耳を裂くような女の声。
同時に場面が移り変わり、商店街のような場所が映った。
コニシ酒店との看板が掲げられた、一つの店、その中でフワフワの長い髪を揺らし、表情を恐怖に彩らせる女の子。
線の細い、八高の制服を着た―小西早紀だった。
一人は苦しむ小西早紀、もう一人は悦楽に浸る小西早紀―眸は黄昏のような色をしている。
彼女は双子のように、そっくりな自分に首を絞められていた。
咄嗟にやめて!と叫んだが、叫び声にはならなかった。
声が出ないのだ。
その間にも彼女の首は絞められ続け、苦しげにもがいている。
黄昏色の瞳の彼女は、それを見て嘲笑を浮かべた。
『なぁにが違うの?商店街もジュネスも、好き勝手言う近所も・・・どうだっていいじゃない』
『ち、が・・・っ』
『この町なんかどうでもいい、家族も友だちも、花ちゃんだって・・・ウザイ、なくなればいい!』
『・・っが、う』
『そうよね、否定したいよね?でもね、私はあなた。あなたは私、なんだから!』
声も失い、首の圧迫感から逃れようともがくものの、もう一人の彼女は手加減などしていない。
確実に息の根を止めようと、力を込め始めたようだ。
何度も何度も、叫んでも2人に声が届くことも、力が加減されることもない。
もう、見ていられない!顔を背けた瞬間、悦楽に満ちていた声が、とても悲しげな縋る様な声色に変わった。
『認めてよ、認めなさいよ!私はあんたなの、どうして?どうして、分かってくれないの・・・早紀?』
力が加減されたのだろう、呼吸ができるようなった早紀は噎せ返りながら酸素を取り込む。
呼吸をするのに必死な早紀が、もう一人からの疑問に答える余裕などある訳なく。
捨てられた子犬のような、そんな悲愴な表情から先程まで見せていた、残虐な笑みが戻る。
『もういい、もういいよ早紀。許さない』
逃げて!叫んでも私の声が届く訳もなく、手足をバタつかせていた彼女の抵抗がどんどん弱くなってゆき。
手足が地面に投げ出され、カクンと落ちる首。その眼球は瞳がなくなり、白目がけが見えている。
ヒクリと喉が震え、唖然とする私をほの暗い黄昏の瞳が貫いた。
彼女は残虐な笑みを浮かべ、高らかに笑う。
赤い舌が、桜色の唇からチロリと覗いた。
「見てるだけで、救おうともしないのね」
「!」
耳元で聞こえた声に瞼が開くと同時に、目尻から涙が零れ落ちた。
天井が映り込むより大きな割合で、同じ顔の男の子―悠の心配そうな顔が映る。
戻ってきたと、安堵すると同時に悲しくて、悔しくて、気持ち悪くて。
色々な感情が渦を巻いて、涙が止まらない。
ドクドク煩い鼓動が耳障りで、思わず耳を塞いだ。
「・・・どうした、?」
ひどく優しい悠の声が、とても心地いいはずなのに、呼吸が上手く出来ない。
喉がヒューヒューと鳴り、視界が白く霞み、酷く寒い上、息苦しい。
顔を顰めていると、口元にビニール袋が当てられた。
「ゆっくり呼吸しろ。大丈夫、大丈夫だから」
ストンと入ってくる言葉に従い、ゆっくりと呼吸をしていると、息苦しさが嘘のように収まっていく。
悠に抱きとめられ、与えられる温もりにまた涙がこぼれた。
額に張り付いた髪をかき上げ、頬を濡らす涙を拭い、悠が顔を覗きこむ。
「落ち着いたか?」
微かに頷くに、胸を撫で下ろす。
過呼吸を起こしたときは驚いたが、処置が早かったため、すぐに収まった。
顔色は相変わらずなものの、落ち着いている。
「・・・・・・ごめん」
ポソリと蚊のなくような声で言われ、髪を撫でてやる。
「悪い夢でも見たか?」
戸惑いつつ、首を縦に振った。
何かを話そうと口を開き、戸惑ってきゅと唇を結んだ。
「言いたくなったら、言えばいい。今日は休むか?」
「・・・・・ううん、行く。朝ごはん、用意しなきゃ」
「俺が行く。出来たら呼んでやるから。菜々子の前に出るんなら、その顔なんとかしろ」
真っ青な顔で目を赤くし、心あらずという風にボーっとしていれば、小さないとこは心を砕くに違いない。
そんなことさせたくないのは、私も同じ。
無理に笑みを浮かべると、トンと額を軽い力で叩かれた。
「菜々子の前で、だ。俺の前で無理しなくていい」
なんてどこかのヒーローが言うようなセリフを残し、悠は階下に降りて行った。
どこまで甘いんだろう、私に。それを享受してる私も私だけど。
地に足が着いてないような・・・まだ夢を見ている気がする。
「見てるだけで、救おうともしないのね」
「――っ?!」
耳元で聞こえてきそうで、思わず耳を塞いだ。
強烈すぎて、夢だったと思えない。
それでも今日のことは夢だと、夢に違いないと言い聞かせたい。
小西先輩が自分自身に殺されたなんて、そんなことあるはずがないんだから。
大丈夫。何度も言い聞かせ、努めて平静を装う。
けれど胸に燻る嫌な予感だけは、消えてくれなかった。
小西先輩が死んだ。
山野アナと同じように、テレビアンテナではないものの電柱に逆さに吊るされていたそうだ。
ああ、やっぱり。事実だけがストンと落ちてきて、朝のように取り乱すことはなかった。
ただ一つ確信を得た。私が見る夢は、ただの夢じゃない。
いじめの事実がないこと、警察の邪魔をせず好奇心で街角インタビューに応えないこと、いくつか注意を受け全校集会はお開きになった。
青ざめた花村くんは、言葉なく一人で去っていってしまい、私たちもノロノロと教室に戻る。
仲がいいわけでもない、挨拶した程度だった。
それでも、周りの子のように好奇心たっぷりに、猟奇事件と面白がる気はさらさらない。
アレを見た後なら尚更のこと。
「ったく、他人事で好き勝手言ってるよ」
千枝も、悠も私も、あちこちから聞こえる不謹慎な憶測に眉を顰めた。
渡り廊下に差し掛かったとこで、携帯を見つめている花村くん。
彼は私たちに視線をやり、また携帯を見つめた。
「昨日、夜中のテレビ見たか?」
「こんな時に何言ってんの?!」
噂をしている生徒が皆口にする、昨日のマヨナカテレビに小西早紀が映っていた、それも苦しそうにしていた、と。
小西先輩と仲がよかった、それ以上に好きだったアンタが不謹慎なこと言うな。
言葉にしなくとも、ここにいる誰もがそういう意味を含んだ言葉だと理解していた。
それを分かった上で、いいから聞けって!と花村は声を荒げた。
「俺、どうしても気になって見たんだ。映ってたの、あれ小西先輩だと思う」
見間違いなんかじゃない、断言し話を続ける。
「先輩なんか苦しそうに、もがいているように見えた」
もしかして・・・私が見ている夢は、マヨナカテレビに映った人がどうなるか、なんだろうか?
小西先輩の前に見たのは、恐らく山野アナ。
マヨナカテレビに映っていたかどうか、分からない。
そこでふと、思い出す。誰かが山野アナウンサーが運命の相手だ!と騒いでいたことを。
仮に山野アナがマヨナカテレビに映っていたとして、導き出される結論は、一つ。
今までそれに映った人が死んでいる、ということだ。それも異常な死に方で。
死亡したどちらも、命が途絶えたのを見てしまっている。
もがいている、なんて可愛い表現で済まされるものではなかった。
苦しみに苦しみぬいて、生きたくて抵抗して、それも無駄だと思い知らされたときの絶望。
息絶えるその瞬間、言葉を残すことなくあっけなく死んでいった2人。
フィクションじゃない。改めてそれが突きつけられ、戦慄と背を走った寒気に自分自身を抱きしめた。