安室透さんと恋人関係になって早3ヶ月。
お付き合いしたての頃は、やはりスパダリな彼が平凡な私を恋人なぞに選ぶか?と疑心暗鬼だったが、なぜ僕を信用してくれないのです?との安室さん、じゃなかった透さんの一言で彼に失礼だということに気が付くと、思っている以上に素直に受け入れられた。
探偵という職業柄、不規則な仕事の透さんと時間を擦り合わすことは難しく、デートはもっぱらお互いの家。
たまに外でデートすることもあるけれど、この3ヶ月間で1度しかない。
ドタキャンだってざらじゃない。いつも迷惑をかけてごめんなさい。と眉尻を下げて甘えてくる透さんを見れば、不満なんて吹き飛んでしまう。
私はこの人に骨抜きにされているな、なんて思い出し笑いをしつつ仕事に励む。
今日はどうしても定時に仕事を終わらせたい。
なぜなら、安室さんとデートだから!珍しく探偵業がなく、ポアロのアルバイトはお昼までだそうで。
私が早く終わらせればそれだけ長い時間、彼と一緒にいられるというわけで。
気合入ってるな、と上司が引き気味に声をかけてきたが気にしていられない。
このところ仕事も恋も順調過ぎるほどで、そろそろ天罰が来るのではないか?なんて軽口を叩くと、彼は僅かに目を見開きくっと唇を噛む。
毎度の疑心暗鬼に呆れているにしては、いささか首を傾げる表情に透さん?と問いかけると今までの表情は幻か何かを見せられていたかのように消えてなくなり、甘く蕩けるような表情を浮かべて抱き寄せられた。
あの顔で甘やかされてしまうと、どんなことでも許してしまいそうだ。
例えば浮気とか。透さんに限ってないだろうけど、浮気されたことを想像し予想以上に嫉妬に駆られたので取り消すように頭を振る。
と同時に業務中のフロアが騒がしくなり、様子がおかしいとそちらに視線を向けると、スーツ姿の屈強な男達が数人歩いているではないか。
厳しい表情の顔立ちを見て、あれは堅気の人ではないな、なんて思っていると彼らがどんどんこちらに迫ってくる。
上司が慌てて彼らを引きとめようとするが、その堅気でない三白眼に気押され道をあける。
おいおいそれで良いのか上司、と心の中でツッコミを入れていると彼らは私の目の前で立ち止まる。
安室さんより高身長だろう。三白眼がさらに鋭く見え、思わず息を呑む。
名前を確認され戸惑いつつ、首を縦に動かし立ち上がる。
座ったままでいてよい空気でないような気がして。
「警察庁警備局警備企画課 風見と申します」
三白眼のメガネ男は抑揚のない声で告げ、手帳を見せる。
桜の紋が描かれた金色に光るバッヂが目に入り、ドラマでよく見る場面だなんてお気楽なことを考えている私に、彼はとんでもない一撃をお見舞いする。
「貴方に業務上横領罪の疑いがありまして。署までご同行頂けますね?」
声が出なかった。
ざわめきがさざ波のように広がり、目という目が私に向く。
何か喋らなければいけないが、衝撃が強すぎて頭がまわらない。
「ちょ、ちょっと待って下さい、何が、どうなって」
やっと絞り出した声はか細く震えていて、自分の声じゃないようで。
「ここで始めても我々は一向に構いせんが?」
そう強めに言われれば同行するしか手段がない。
同僚達や上司は心配そうな視線を向けてくれるが、別の課からは好奇心の目を嫌という程感じ視線が痛い。
混乱したまま屈強な男達に囲まれ、車に乗り込み無言のまま走ること数分、署に到着し誘導されるまま窓のない部屋に通される。
風見という男性が、沢山の資料を手に私の目の前に腰かけたところで、ようやく思っていたことを口にできた。
なぜ私が横領罪で取り調べなんですか?全く身に覚えないですし、早く帰りたい!と矢継ぎ早に告げたところで彼は資料を広げ、そう慌てずにと淡々と切り出し始めた。
結論から言うと、私は過激派右翼団体の資金管理役で、主な資金源は私が勤めている会社から横領した金が流れていると。
その過激派集団が最近不穏な動きを見せており、私達がマークしていたと。
加えて風見さんが提示した資料によると、私が取引先に送金したものが隠れ蓑のペーパーカンパニーに回り、年間にすると自治体予算レベルの金が動いていると。
そんな送金した覚えもなければ、大金を動かせる立場にいないと主張しても、送金履歴は確かにあるし私が取引先に送金指示した書類もバッチリ残っていて。
ざっくざっくと出てくる“犯人”である証拠たち。
けれど身に覚えがまったくないのだから、やっていないと繰り返すしかない。
どれ程時間が経過したのだろうか。
すっかり日は暮れているだろうし、連絡はとれる訳ないし。
安室さん待ちぼうけしていないかな、ああ帰りたい。
認めてしまえば帰宅できるか?と危うい思考に傾き始めたところで、ノックの音が響き続けざまに扉が開く音。
先ほどから入れ替わり立ち替わり、記録係の人が出入りしているからもう視線を向けたりしない。
そんな中でも風見さんは視線すら反らしてくれないんだろうな、とうんざりした面持ちで彼を見やると、予想に反して彼の眼は目いっぱいに見開き、勢いよく立ち上がったことでパイプイスがなぎ倒される。
「降谷さん?!なぜここに」
「あとは俺が代わる」
あれ?安室さんに似た声だなとふと振り返り、私も風見さんと同じく限界まで目を見開く。
褐色の肌に金髪碧眼、スラリとしているがしっかり鍛えられた体躯、耳馴染みある優しい声。
「あむろ、さん」
うろたえる私をよそに、スーツを纏った彼は風見さんと入れ替わり私の目の前に腰かける。
「こんにちは。ああ、もうこんばんは、の時間ですね」
腕時計で時間を確認しニコリと笑みを零すと、彼はすっと無表情に戻る。
今まで私が見てきた“安室透”という人物は何だったのか。
確か風見さんは彼をフルヤと呼んでいたような。肌の泡立つ感覚に思わず眉を顰める。
「改めまして降谷零と申します」
彼が目の前に突き付けたのは、風見さんと同じ警察手帳。
私に掛けられた身に覚えのない横領罪、身分を偽って私と恋仲になった安室さんいいや降谷さん。
こんなの子どもでも理解できる簡単なこと。
「だまして、いたんですね」
「捜査の一環です。我々は公安。国の治安を守るためであればどんなことでもやります。貴方の逮捕、送検が決まりそうです。部屋からでてきた証拠が決め手となって」
その言葉に彼と初めて朝を共にしたことが蘇る。
目を覚ますと隣で愛おしそうに目を細める彼がいて、おはようと愛しげに囁いた声は今でも耳に残っている。
朝からイケメンを拝むのは目に毒だと思いつつ、真っ赤になった顔を見られないよう背を向けると、待ってと囁いて追いかけてくる腕。
恥じらいながらキスを交わしたこと。
週末のデートはどうしようか。二人でどこへ行こうか。
好きなこと苦手なこと色々話したことが、全て嘘だった。
私の家に入るための、動かぬ証拠を掴むための“手段”
「意外に疑心暗鬼で一時は長期戦も覚悟の上でしたが、あなた恋愛経験浅いでしょう?お陰でこちらも手間をかけることなく順調に進めることができました」
ぺらぺらと流れるように回る口は安室さんの演技なのか、それとも降谷さんの素なのか。
「そう、ですか」
震える声でそう口にすることが精一杯だった。
なぜ、どうして。それを口にしてしまえば泣き喚いてしまうから。
俯いてテーブルを見つめる私の視界に入ったのは、つい先日お揃いで買ったストラップ。
この年でお揃いだなんて恥ずかしいと断る私に、口八丁で安室さんが持たせてくれたものだ。
「これ発信機兼盗聴器です。でも貴方一切“連絡役”としての情報を出さないから、気づかれているかとヒヤヒヤで」
この人は降谷零という人は、本当に安室透なのだろうか。
実は双子で逮捕されたと聞きつけて、安室さんが飛んできてくれるのではないか。
そこまで考え、虚しさに耐えきれなくなった私は声を上げる。
「もう、止めてください」
「家にお伺いした時に、ようやく証拠を握れた時はほっとしましたよ」
「もうやめてってば!」
聞きたくないと耳を塞ぐと、降谷さんは大きくため息をついて席を立つ。
「ま、全て終わりましたしどうでも良い話ですね。では私はこれで」
「安室さん」
私が知っているのは“安室透”であって降谷零じゃない。
変な意地でもってそう声をかけると、振り返った彼は面倒くさそうな顔をしていて。
「降谷です。何でしょうか?」
挫けそうになりながら、どうしても尋ねたいことを投げかけた。
「どうして恋人なんて回りくどいことを?」
あなたの力量なら、関係を築かなくたってどうにでもできたはず。
暗に含ませ尋ねると意味に気づいた彼は柳眉を跳ねあげる。
「捜査のためなら手段は選んでいられない」
そして彼は二度と振り返ることなく部屋から去って行く。
これが私が最後に見た安室透、いいや降谷零の姿だった。
2
結論から言おう。私に犯罪歴は付かなかった。
どうやら私は社員IDと取引先担当という立場を悪用されたに過ぎなかったようだ。
私を任意同行したことで、本物の“連絡役”が油断ししっぽを出す瞬間を狙っていたらしい。私はそれに利用されたという顛末。
ちなみに横領していた過激派の連絡役は、先輩だった。
そういえば酒が入ると、連絡役がどうのと言っていた気がする。
それはさておき、私の損失は大変デカいものだった。
まず会社を辞めざるをえなかった。
社長直々に“君も被害者なのだから、気にせずいてくれればいい”とのお達しを頂いたが、人の口に戸口は立てられないし、噂には尾ひれがついてくる。
その刺すような視線と、悪意に満ちた噂に耐えかね辞職を提出した。
ご近所にも噂が広がっていたらしく、戸口に嫌がらせの張り紙をされるなどしたため、引っ越しを余儀なくされた。
その反面友人たちが、相変わらず普通に接してくれることの心強さ。
彼らには感謝してもしきれないので、追々恩返しはするとして一番面喰らったのは公安の処遇だった。
風見という警察官がぴっちり腰を折り、申し訳ありませんでした。と謝罪し、私が受けた損害は全て補てんすると連絡してきたのだ。
「金銭的な援助で心苦しいのですが、上司からの誠意です」
と言われた瞬間、私は彼を睨みつけ感情のままに叫んだ。
「私に二度と関わらないで!」
踵を返すが追いかけてくる気配はなかった。
そう一番大きな損害は安室さん、いや降谷さんと呼ぶべきか。
愛を囁いたことも愛を確かめ合ったことも、他愛ない出来事を二人で楽しんだことは全て何もかもが嘘。
取り調べ室で涙は見せなかったのが私の女としての意地だった。
みっともなく募ってしまいたかった。嘘でしょう?って。
でもあの冷たい碧眼で射抜かれれば、サルでも理解する。
お前は騙されていたのだと。
めでたくニートになった私は、引っ越しを済ませた先で大いに荒れた。
もう二度と男など信用しない。特にイケメン、死ね。
友人たちは何も言わずうんうんと頷き、隣にいてくれたことが救いだった。
泣いて泣いて泣いて、涙も枯れるころ唐突に吹っ切れた。
働いて忘れよう。
“恋人と思っていたらハニートラップ“と”任意同行される“というハードモードを経験した人間は、なんでもできると妙な自信がつくらしい。
あれよあれよという間に次の就職が決まり、慣れない業務に追われ安室さんのことを思い出す頻度は格段に減った。
けれど次の恋!なんて思える訳がなく、徹底的にそういう情報をシャットアウトした。
会社で合コンに誘われても断り、なんとなく雰囲気がよくなった男性とも即座にお断り。
あの人と肌が目の色が違う、彼はこんな風に下品な笑い方はなしない、どんな小さな話でも真剣に耳を傾けてくれる。
気づけば安室さんの影ばかり追い求めている自分が恐ろしかった。
宗教勧誘より悪質なハニートラップに引っかかったのに、私はまだ彼のことを?
いやいやいやそんなこと絶対ない。顔がいいからつい比べてしまう、それだけだ。
そう言い聞かせている頃、知らない番号からの着信。
久々の嫌がらせか?なんて警戒しながら出ると、意外なことに相手は半年前お世話になった公安の風見さんからだった。
降谷零は公安部に所属する警察官であり、潜入捜査官でもある。
その潜入のための名前が安室零、そうしてとある組織の一員バーボン。
3つの顔を持つ男、なんて大層な二つ名を持っているらしいが本人に言わせれば、好きな女性と真剣に向き合えない拗らせアラサーだ。
今日も安室透の仮面を被り、ポアロでの業務に勤しむ。
軽食やスイーツの仕込みは終わったし、食材の補充の予約もできた。後はグラスを磨いて、と仕事の段取りを考えている時だった。
チリリンとドアベルが鳴り来客を告げ、いらっしゃいませと営業スマイルを張り付け顔を上げる。
予想外の来客に動揺し、思わずグラスを取りこぼし、重力に引かれ落下したグラスがかん高い音を立てて粉砕する。
最後に会ったのは半年前の取調室でのこと。
もう二度と会うことはないと思っていたし、まさか来店するとは思ってもみなかった。
思わず名前を呟くと、彼女は慌ててカウンターに駆け寄ると怪我はありません?と心配そうに自分を見つめる。
どのくらいそうしていただろう。はっと我に返り問題ないです、と答えバックヤードに箒とちりとりを取りに足をむける。
なぜ、どうしてと自問したところで答えは分かりきっている。
僕への報復だろう。
彼女と付き合うことになり、その夜は浮足立っていた。
しかし部下の前で浮かれるわけにもゆかず、いつも通り冷静に報告を受けていたところで、奈落に落とされた。
彼女は公安がマークしている、極右過激派集団の資金調達のトップに間違いないという。
信頼する部下が集めた証拠に目を走らせ、白という線が潰されてゆく。
俺が公安の人間だと分かって近づいた?それにしては、いつまでも疑心暗鬼でハニートラップにしてはお粗末なもので。
気づいていない内、恋心を抱いたのだろうか。
何にせよこの立場を利用する他ないし、確固たる証拠を押さえて逮捕に踏み切るのが妥当だろう。
私運悪いんです、と困ったように笑う彼女が脳裏を過る。
「ええ、本当に」
タイミングが悪すぎやしないか。
恋人という立場を利用し、家に上がり込みPCを物色し、発信機と盗聴器を搭載した可愛らしいストラップを、恋人たちがよくやるお揃いだとプレゼントをしたが、彼女への恋心は本物だった。
彼女が笑いかけると胸が温かくなり、甘い声で甘えられると胸が疼き、唇を重ねると胸が高鳴った。
けれど警察庁公安部である限り、彼女をありのまま受け入れることは到底できないし、優先すべきは公の顔だ。
彼女はどちらの顔なのだろうか、安室透の恋人?それとも過激派集団の連絡役?
身分を明かし冷たく突き放した時の、彼女の悲しげな表情は今思い出しても胸が疼く。
「半年ぶり、ですね」
「ええ。元気そうで何よりです」
割れたグラスを片付けたあと、二人きりの店内で彼女のためにコーヒーを淹れる。
サイフォンを通してそっと盗み見た彼女は、記憶の中より少し痩せていた。
無理もない、それ程の心労を負わされたのだから。
彼女は公安からの補償を一切拒んだ、と聞いている。
どんな罵倒でも、張り手の一つや二つでも甘んじて受けよう。
今日は梓さんが休みで、店内が彼女だけでよかった。
コーヒーを一口飲み、おいしいとほっと息をつく彼女はやはり可愛らしい。
近況を聞くのはおこがましいだろうか。
「降谷さん、あー、えっと今は安室さんか」
「できれば安室でお願いします」
「じゃあ安室さん。私ね」
言葉を切ると、カップをソーサーに置きこちらをまっすぐ見据える。
「あなたのこと、諦めきれないみたいなんです」
これは愛の告白だ。予想していた罵詈雑言でもなく、張り手でもなく、予想の斜め上をゆく彼女に唖然とする。
「騙されているって分かってとっても悲しかったし、あなたは淡々と捜査だとしか言わないし、任意同行とはいえ奇異の目で見られて、私しばらく外出が怖くて。仕事も住居も変更を余儀なくされました。毎日悲しくて悲しくて、でもある日ふと安室さんへの怒りが湧きあがってきて。嫌な目に合えばいいと思っていましたし、藁人形も買って五寸釘打ったりしたんですけど」
「丑の刻参りですか?!」
さらに飛躍する彼女思考に思わず声が裏返る。
彼女は眼を見開くと、それっぽいことはしましたよと悪戯っぽい笑みを浮かべ、でもねと眉尻を下げる。
「小指を箪笥の角にぶつけたり、通り雨に降られてぬれ鼠になったり、そんな些細なことでも安室さんが嫌な気持ちになるのはモヤモヤして」
胸を摩る彼女に閉じ込めていたはずの恋心が溢れだす。
こうして普通に話しているのが奇跡のようなのに、加えて自分の身を案じていて。
「相変わらずお人よしですね」
思わずそう漏らすと、自分でもどうしようもない馬鹿だと思います。と彼女は肩を竦める。
「酷いことされたのに、それでも安室さんを想う気持ちが消えなくて。忘れる努力はしたんですが、忘れようと思えば思う程、貴方のことばかり考えちゃって」
ああなんて愛しいのだろうか。こんなに可愛らしくいじらしい女性がいるだろうか?
思わず彼女に手を伸ばしかけ、ぐっと拳を握る。
「以前言いましたよね。あなたとのことは“捜査上必要な手段”だったんです」
愛しいからこそ、彼女を遠ざけなければ。
二度と自分を想ったり、思い出さなくてすむよう突き放すのが、彼女へのせめてもの償いだ。
「違法捜査のツケは必ず清算する。それが公安なんでしょう?」
「なぜそれを」
部下達に対しても常に意識するよう言い続けているセリフを、なぜ彼女が知っている?
「わざと会社まで押し掛けて任意同行することで、犯人のしっぽを掴もうとしたんでしょう?このままじゃ私が逮捕されてしまうから」
幾度調べても出てくるのは、彼女が黒であるという証拠。
あえて人目につくようにしているような、そんな違和感を感じ独自に捜査を進めるが中々尻尾を出さない。
ならばと少し荒々しいが、彼女を囮に使うと油断しきった犯人が証拠を出し、無事逮捕に踏み切ることができた。
それを一般人相手に漏らすとは。悪態をつき舌打ちを打つと、意外ですと静かな声で彼女が告げる。
「安室さんって大人の男性かと思っていましたが、子どもっぽいですね」
「ええ、まあ。貴方嘘が大変下手なので、連絡役なんて無理だと分かっていましたし」
「顔に出るタイプとよく言われます」
「利用したんですよ」
苦笑いを浮かべる彼女にぴしゃりと言い放つと、すっと真摯な戻り僕に視線を合わせる。
「貴方の平穏と国民の平穏を天秤にかけ、国民をとりました。僕は、俺がいる立場はそうせざるを得ない」
「ええ、公安ですからそうでしょう」
「そんな男のどこが良いんです?」
これは俺が聞いてみたい本音の部分。すると彼女は幾度か瞬きをすると、ふと優しい表情で口を開く。
「まず優しいです。損得勘定なしに動ける人はそういません。沢山の様々な知識を持っていらして、頭の回転も速い。聞き上手、お料理も上手ですし・・・あ。一つ大事なことを忘れていました!」
ポンと手を打つと、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ご尊顔が大変尊いです」
それからと更に加えようとするので、居た堪れなくなり慌てて止めると少々不満そうに口を尖らせる。
「安室さんが言ったんですよ?全部聞きたいでしょう?」
「何だか押しが強くなりましたね」
恋人(仮)だったときは、選択肢を与えても決定を僕に委ねるし、安室さんがいいならそれでと言わんばかりのイエスマン。
しかし今の彼女は自己主張を持ち、言いたいことをはっきり言うことができるようになっている。
「人生ハードモードを経験すると、割りとどうにかなると思えるようになったので」
「もしかしなくても」
「安室さんのお陰、というか安室さんが原因ですね」
思わず言葉を詰まらせると、ほら!と彼女は嬉しそうな表情を向ける。
「今罪悪感抱いたでしょう?そういうところが優しいんですよ」
そう言ってコーヒーカップを傾け、小さく息を吐く。
「それも安室透としての作られた顔だとしたら?」
「いいえ、今のは素の降谷さんの顔ですよ。女の勘が告げています」
すっかり逞しくなってしまった元恋人に、思わず顔を引き攣らせる。
今ならやり直せるのだろうか。こうやって軽口を言い合って、時間を合わせて街中をデートしたり、一緒に料理をしたり。一般的な恋人達がやることを出来るのだろうか。
国の治安を乱そうと画策する犯罪者の一手先を読み、確実に逮捕する。
そのためには、時に法に触れる捜査をすることも致し方ない。
潜入捜査官はいつも危険と隣合わせであり、自身がNOCだと気づかれた暁には、自身の存在を消し去ってでも情報を抹消する。
そんな世界にいると、彼女のように平凡な人が羨ましくもあり眩しく思えるときがある。
夢を語り合い、厳しい訓練にも耐えた警察学校時代の友人たち。
彼らは全員逝ってしまった。
こういう仕事に就くということは、それは覚悟の上のこと。
だがあまりにも早すぎる死に、胸を掻き毟り叫びたくなる衝動に駆られてしまう。
「僕は誰かを愛することが恐ろしい」
独り言のように漏らすと、彼女はじっと黙って僕を見つめている。
理由は言っても言わなくてもいい、というスタンスらしい。
本来なら誤魔化してしまうのが得策だというのに、何故か彼女を見ていると本音が暴かれてしまう。
「手の届かないところに去っていく。どんなに心砕いても、預かり知らぬところで」
だから大切なものは増やしたくない。
増やせば悲しくなる時間が増えるだけだ。
すると安室さん!と切羽詰まったような大きな声を出す彼女の姿。
はっと我に返ると、ぐいと両頬を包み込まれ視界いっぱいに彼女の顔が広がる。
「私は零れていないから、ここにいますよ」
「けれどあなたを沢山傷つけた」
「けれど助けてくれたじゃないですか」
間髪入れずにそう告げると、いつもの彼女らしい笑みを浮かべる。
「あまり難しく考えないでおきましょう。私は平凡そのものですから、非日常に生きる安室さんを平凡で包んで素巻きにしてあげます」
朝日が眩しいとか、風が心地よいとか、ポアロのハムサンドがおいしいとか。そんなどうでもいいことをすぐに感じることができるように。
そう付け加えると、悲痛な表情で自分を見上げる。
「だから“大切なものは増やしたくない”なんて悲しいことは言わないで下さい」
甘えたことを言い放った俺より、悲しげな顔をされしまえば謝るしかないわけで。
「それに私の知っている警察官の降谷さんなら、どんな手段を使っても守って見せる、って自信たっぷりに言い放ちますよ?」
「へえ?言ってくれますね」
身を乗り出してカウンターに頬杖をつくと、彼女の髪にそっと手を伸ばす。
全てを流れに委ねてみるのも悪くない、かもしれない。
「愛しています」
安室透なら陳腐なセリフを並べて、彼女をうっとりさせることができるだろう。
けれど今だけは降谷透として自分の言葉で、彼女に愛を伝えたい。
結果として直接的な言葉しか思い浮かばなかったが、彼女は顔を茹でダコのように赤くさせ、顔を覆って奇声を上げているので十分に伝わっているようだからよしとする。
「は、ははは反則です安室さん!」
「そう照れなくても」
「不意にイケメンに言われたら心臓に悪いんですよ!好きですけど!」
喜んでいるのか、怒っているのか、くるくる変わる表情に笑みが零れる。
そうだ彼女は人の気持ちを思い出させてくれる、人間味溢れる人だった。
「ところで。僕もうそろそろ上がりなんですが、この後のご予定は?」
「特にありませんけど・・・あ。デートしてくれるんですか?」
「もちろん。貴方がよろしければ、僕の部屋に招きたいのですが」
カウンター越しに手招きをすると、不思議そうな顔をしながら身を乗り出す彼女の耳元でそっと囁く。
「安室透ではなく、降谷零として」
彼女は唖然として、いいんですか?と尋ねるので、恋人を招くのは当然でしょう?と尋ね返すと、またも奇声を上げて机につっぷしてしまう。
「顔がよすぎる〜!」
「褒め言葉として受け取っておきますね」
HAPPY END....?
2018.7.8
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