夏休みに入っても、やることは変わらない。
学校には行かないけど、アルバイトという名の小間使いはいつも以上にハードに続いている。
世間はお盆という連休に入っているというのに、田舎の稲羽市は帰省客で溢れている。
稲羽市唯一の買い物スポットである、ジュネスも人の入りが多い。
そのため、陽介はいつも以上に働いていた。その唯一の買い物スポット、父親が店長を務めるその店で。
そしてやってきたお盆最終日、8月15日、終戦日でもある今日を乗り切れば、長時間労働から解放される。
アラームに起こされるより前に、陽介は目覚める。
いつもなら、きっとアラームに勝ったと少し誇らしげに携帯のソレを切っていただろう。
そんな気分になれないのは、じっとりとベタついた汗が不快でならないから。
すっかり日は高く、蝉が大音量で鳴いている、加えて入る風は生ぬるい。
「・・・・気持ち悪ぃ」
ため息とともに呟いて、陽介はベットから出た。
着替えを持って、浴室に向かう途中何気なく携帯に目をやり時間を確認する。
10:46のデジタル表示を見て、寝起きのクセにいやにすっきりしている頭で、アルバイト開始時間までのペース配分を計算し始めた。
撮り貯めている深夜のお笑い番組をBGMに、陽介は簡単な家事をこなす。
母親が実家に帰省しており(父親の名誉のためにもう一度言う、ただの帰省だ)男2人。
父親は家事なんててでんでダメだから、仕方なく自分がやっている。
相棒も堂島家でやってるんだから、俺にもできると面倒くさがる自分を何度奮い立たせてきたか・・・・
ここだけの話、相棒に手伝ってもらってなんとかまわってる状態だ。
これ以上、部屋が荒れたら母親に何を言われるか・・・・・・想像しただけで怖い。
洗濯に掃除、貯めてしまっていた皿洗いをすませると昼食に近い時間に。
夜の分も作ってしまおうと、昼のメニューも余分に作り、一人食べる。
そんな時だった、電子音が鳴り響き陽介はソファーに目をやった。
オレンジ色の携帯が光って震えている。億劫だが電話を無視するわけにもいかず、四つんばいでその場にはっていき手に取った。
の文字が鮮やかに浮き出ていた。
「もしもし?」
「あれ?よーすけが起きてる・・・・」
天変地異の前触れじゃないか、と言わんばかりの声色に陽介から苦い笑みが零れた。
「俺だって、一人で起きれるんですけど?」
「・・・・そっか、そうだよね。陽介も一応、高校生だもんね」
「どーいう意味だよ?!」
「何時から起きてたの?家事は順調?」
底抜けに明るい、爽やかなの声に陽介は再び笑う。
先ほどのような苦い笑みではなくて、仕方ないなと言わんばかりの顔で。
はクラスメイトで、ある事件をきっかけに最近仲良くなった悪友の一人。
里中とも、天城とも違うタイプの女の子。
ただちょっと、最近のことが気になって仕方ない。
けどこれは決して恋心ではない、きっと何をしでかすか分からなくて、目が放せないという意味なのだ。
一瞬脳裏に、悪戯っぽい笑みで笑う女の先輩が浮かんで、陽介は慌ててかぶりをふった。
「よーすけ?どしたの、何か変?」
「・・・・・・いや、なんでもねーよ」
「そうだ!今から会えない?バイト始まるまで時間、あんでしょ?」
アナログ式の壁掛け時計に目をやると、針は十二時半を指していた。
「あっちー!」
思わずサドルから腰を上げ、ただしペダルをこぐ足は止めず、車輪は前に進む。
風は生ぬるいはずなのに、頬を髪を悪戯に撫でてゆく風は、何故か冷たくて心地よい。
だからついついスピードを出してしまって、電柱にぶつかったりするんだけど。
でも今日はそんなことになっちゃいけない。だってに会うのだから。
バイト前だというのに、危険運転と目を吊り上げて、ネチネチ説教をする彼女は遠慮したい。
一緒にいるなら楽しくいたいじゃないか。
なんとなく"そう思う"だけなのに、何故かその理由を知りたいような、知りたくないような。
結局先延ばしにして、今日に至っているが・・・・・・・きっと問題はない、はず。
どうでもいいことを考えていると、あっという間に指定された場所に到着。
町唯一の公園には、子どもの姿は見えない。
無理もない、きっとこの暑い中子どもを炎天下の中で遊ばせたいと思う親はあまりいないだろう。
それも世間はお休み真っ只中、公園で遊ぼうという親子は少ないだろう。
だからかもしれない。
子どもというには大人に近づいた少女が、真っ白なワンピースを着てブランコを揺らしている姿は中々に目立つ。
思わず笑みが零れたことに、陽介は気づかない。その笑みも優しげなものだったことにも。
自転車を止め鍵をかけたところで、顔を上げると少女―もこちらを見て笑みを浮かべた。
「やっほー」
「よお・・・・つか、それ」
いつもと変わらず緩い挨拶をするはまさに"いつも"通り。
一つだけ違っていたのは、腕の中にある真っ黒な毛玉、もとい猫。
黄昏色の瞳に、シャドウを思い出し一瞬ヒヤリとしたものが背中に走ったが、こっちは現実と言い聞かせ、平静を装った。
そんな陽介の心中を知らないは、無邪気に笑って猫をズイと陽介の前に差し出した。
「かわいーでしょ」
「ん家って、猫飼ってたっけ?」
「ううん。野良・・・・じゃないみたいだね、首輪あるし。ここで会ったの。なんか懐かれちゃって」
気まぐれな生き物だというが、本当に何と言うか。
陽介とはちっとも視線を合わせず、彼か彼女か分からないそいつは明後日を向いたまま。
苛立ちを覚えても、仕方ないだろう。顔を蕩けんばかりに緩ませているの気が知れない。
曖昧に言葉をはぐらかす陽介に、も何かしら感じたんだろう。
陽介には、この子の魅力は分からないよね?と猫と視線を合わせつつ、膝に戻した。
定位置と言わんばかりの顔で、そこに丸まった猫に胸の周辺がもやもやとしたが、昼飯を早く食べ過ぎたせいだと言い聞かせ、陽介は話題を変える。
夏休みは何をしていたか、相棒や里中達には会ったか、あのアーティストのアルバムがでるだとか。
いつでもできるような、世間話を続ける。
ふと訪れた沈黙に、猫を抱いたままが顔を上げた。少し眩しそうに目を細めて。
「でもまあ、夏は嫌いかな」
「暑いし、蚊多いしな」
即答した陽介に、違うと言わんばかりに顔を顰めだって、とが口を開いたときだった。
「あっ!」
突然膝にいた猫がポンと、勢いをつけて飛び出し、その勢いのまま公園の出口に走り出した。
反射的に猫を追いかけるにつられ、俺も立ち上がり声を張り上げた。
「飛び出すなよ!」
「だいじょーぶ!」
首だけで振り返り、手を上げたはそのまま猫を追いかけて道路へ飛び込んだ。
あいつ!思わず走り出した陽介は、続けざまにエンジン音を耳にしそちらに目をやり、戦慄が走った。
木の陰から見える、金属の塊。真夏の日差しの照り返しが、実に眩しい。
「!」
陽介の声さえもかき消すほどの、体の中心にまで響くクラクション。
猫を抱き上げた彼女が、はっとして振り返った時には、ヒラリと舞い上がっていた。
人間一人が、まるで一枚の紙切れのように簡単に。
ほんの一瞬の出来事のはずなのに、数分にも数時間にも感じられるようだった。
時間が戻ったと感じたのは、遅れて聞こえた泣き叫ぶようなブレーキ音。
固まっていた足を懸命に動かして、道路に出た陽介はヒュと喉を鳴らす。
新緑の木々も、灰色のアスファルトも、飛び出し注意と書かれた看板も、法廷速度標識も、全てに赤が撒き散らされた。
まるでペンキの缶をひっくり返したように。
ペンキではないと教えてくれているのは、匂いだ。
むせ返りそうなほどの金属臭、鼻血が大量に出たときより、酷い。
濃すぎる匂いと、目にも鮮やかな色に陽介は思わず口を押さえた。
いつもせっけんの香りをさせていた、がだ。
せりあがってきたものをどうにか押さえ、を探す、真っ白なワンピースを着ていた彼女を。
簡単に見つかった、視線を前方に動かすだけで。
しかし、彼女の手足は妙な方向に投げ出され、真っ白だったワンピースは真紅に染まっている。
「!」
ドッドッと煩い心臓と、ガクガク震える体にしっかりしろ!と渇をいれ彼女の元に向かったものの。
情けないことに、彼女を抱きかかえようとは思えなかった。
表現しがたい惨状に、せり上がったものを抑えられずその場に戻してしまう。
「うそ、だろ・・・・!」
脳みそを撒き散らし、衝突したであろうトラックのフロントガラスは蜘蛛の素のように割れ目が入り、その中心には漆黒の髪の束。
よくよく見れば首もあらぬ方向に曲がり、一目で彼女が生きてはいないと分かる。
さっきまで会話をして、笑っていたが蘇り、陽介の目にジワリと涙が滲む。
嘘だろ、嘘だろ・・・・!誰か、嘘だって言ってくれよ!
「嘘じゃないさ」
耳馴染みのある声に、陽介は道路に向けていた首を上げ、驚愕に目を見開いた。
見覚えのある制服、容姿、癇に障るような笑顔、そしてその黄昏色の瞳。
自分が、目の前にいた。あの世界で対峙した、自分が目の前に。
「な・・・で・・・」
「嘘じゃない。は死んだ」
見ろよ。そう促され、陽介は頭を抱えた。きつく目を閉じ、しっかり両手で耳を塞ぐ。
夢だ、これはきっと夢なんだ。現実であるはずがない、あいつがこっちに出てくるなんて、そんなはずが。
「が死ぬはずねーだろ?!」
彼女の無邪気な笑顔が浮かんで、消えた。
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