覚醒するようにパチリと目が醒めた。
蝉の鳴き声が煩く、ジッとりとかいた汗がベタついて気持ちが悪い。
今何時だ?何故か覚醒しきった頭で、陽介は壁掛け時計に目をやり、12時を過ぎたことを確認すると、携帯を手に取る。

「8月14日・・・か」

チリンと涼しげな風鈴の音色とは反対に、頬を撫でた風は嫌に生ぬるいものだった。
何故か無性に、の声を聞きたくなりベットに寝転がったまま電話をかける。

「もしもし?」
「あれ?よーすけが起きてる・・・・」

天変地異の前触れじゃないか、と言わんばかりの声色に陽介から苦い笑みが零れた。

「俺だって、一人で起きれるんですけど?」
「・・・・そっか、そうだよね。陽介も一応、高校生だもんね」
「どーいう意味だよ?!」
「何時から起きてたの?家事は順調?」

底抜けに明るい、爽やかなの声に陽介は再び笑う。
先ほどのような苦い笑みではなくて、仕方ないなと言わんばかりの顔で。
何故かそのやりとりを、以前に交わしたような気がしてならなかった。

バイト開始までの時間、と会うことになり彼女はいつもの公園を指定する。
彼女は真っ白なワンピースに身を包み、いつもの笑顔を浮かべてブランコをこいでいた。
膝には見覚えのない猫。ふと昨日見た不思議な夢を、不吉な夢を思い出した。

彼女が猫を追いかけて、トラックに轢かれる嫌な夢を。
でも夢は夢だ、気にする方がおかしい。そう言い聞かせてここまで出てきたものの。

「あっ!」

膝から飛び出した猫を追いかけようと、立ち上がったの腕を咄嗟に掴む。
夢を気にするのは変だ、夢なんて所詮夢なんだ、でも・・・・・・・・・。

「ちょっと陽介、何すん・・・・」

は文句を言おうと振り返るが、すぐに口を閉ざさるおえなくなる。
何故なら、彼が今にも泣き出しそうだったから。

「よう、すけ・・・?」
「・・・送ってく。今日はもう、帰れ」

神妙な様子の彼に、は首を縦にふって公園の出口に目をやると塀の上に先ほどの黒猫ちゃん。
道路に飛び出したのかと思った。ほっと息をつくと同時に、ダンプカーが騒音を立てて通り過ぎた。
何故か陽介がほっとしたように、怖い顔を少しだけ緩ませたのが気になったけど、何も聞かずに行こうと声をかけた。
自転車を車道側に、をなるべく道路から遠ざける。
彼女がニヤけ顔で、モテ男はエスコートが上手いですこと、とおどけたように笑うのが"いつも通り"すぎて笑えた。
とりあえず軽くチョップを食らわせ、の歩調に合わせてゆっくりと歩く。

「今日も暑いねぇ」

目も眩みそうな眩しい光と、抜けるような青空を見上げがしみじみと告げる。

「でもまあ、夏は嫌いかな」
「暑いし、蚊多いしな」

即答した陽介に、違うと言わんばかりに顔を顰め、だってとが口を開く。
あれ?今のやり取り、どっかで・・・?陽介が首を傾げたとき、小さな悲鳴が上がった。
首を傾げた2人はその発生源に視線をやり、さらに不信感を募らせる。
なぜなら、発生源はいくつかあるにも関わらず、皆空を見上げて指をさしたり、ポカンと口をあけているから。
が皆に習って空を見上げ、ソレに倣って陽介も空を見上げる。


「え?」

一瞬の出来事だった。と陽介のどちらかが漏らした声か分からない。
どちらか一方だけだったかもしれないし、2人で上げた声だったかもしれない。
視界が閉ざされたと思ったら、耳を裂くような激しい音、音、音。

!」

咄嗟に彼女の手を引こうと、手を伸ばしたものの宙を掴んで終わる。
無事でいてくれ!朝から続く既視感に胸騒ぎが高まり、心臓が早鐘のように鼓動打つ。
轟音があたりに響き、土煙がもうもうと上がる。
ピシャリと何かが頬にかかる感触がし、陽介は咄嗟にそれを拭った。
きっと生温かかったのは、気のせいだと言い聞かせて。
周りのざわめきが大きくなる中、陽介は一層声を張り上げ彼女を呼ぶ。

!」

何度も、何度も繰り返す。彼女が返事をしてくれるまで、視界が晴れて彼女の無事が確認できるまで。
それなのに。
更なる悲鳴を上げたのは、周りの人ばかり。
募るばかりの苛立ちを発散するように、一つ舌打ちをすると、徐々に土煙が晴れてゆく。
すぐ隣に影が見え、手を伸ばそうとした矢先、目に入ったのは鮮やかな赤。
水溜りのようにどんどん大きくなる赤色の中心にいるのは、ぐったりとした彼女。
駆け寄ろうとして、思わず足が止まる。
彼女の背中から腹にかけて、一直線に鉄骨らしきものが貫いてを地面に縫いとめていた。
体がビクリ、ビクリと痙攣を起こす度赤色の円は広くなる。
同時に、むせ返るような血の香りもますます濃くなる。
だというのに、彼女の横顔には笑顔が浮かんでいる。

標本にされた蝶のようだと、非現実的なことを考えながら陽介はただその惨劇を見やり、ふと掌に視線を落とした。
手が赤くなっている。だというのに、痛みは一切感じない。
簡単なことだ、これは自分の血ではないこれは、これは目の前の、の・・・・・・・・!

「ゆ、ゆめ・・・・だ!」

ガクガクと体が振るえ、陽介は目をきつく閉じて耳を塞ぎその場に蹲る。
夢だ、これはきっと夢だ。そう、そうだ!が死ぬもんか、どうせこれも夢だって。
だから醒めろ、早く醒めろ。夢だ夢だ、早く醒めろ、早く!

「だから、夢じゃねーって」

耳をキツク押さえているはずなのに、声が聞こえた。
それも、自分にそっくりな声色で、嘲笑うかのような声が。

「目を閉じて、耳を塞いだって現実は変わらない。それはよく知ってるだろ?」

なあ、俺?目を開けなくても分かる、俺のシャドウが言い聞かせるように耳元で囁いた。



覚醒するようにパチリと目が醒めた。
蝉の鳴き声が煩く、ジッとりとかいた汗がベタついて気持ちが悪い。
今何時だ?何故か覚醒しきった頭で、陽介は壁掛け時計に目をやり、12時を過ぎたことを確認すると、携帯を手に飛び起きた。
先ほど見た夢があまりにもリアルで、所詮夢だと哂って済ませることができなくて。
アドレス帳からを引っ張り出し、電話をかける。
早く声が聞きたい、無事を確かめたいと思っているときほど中々でてくれない。
自転車を出すため携帯を肩と耳の間に挟み、サドルに跨り携帯を左手に持ち替えたときだった。

「はい」

少し疑問を含んだ声色だったが、実にいつも通りのの声だった。
安堵にほっとため息をつくものの、抱いている焦燥感は収まる気配はなく。

「もしもし?今日時間あるか」
「え?う、うん・・・・あるけど、陽介バイトあるんじゃ?」
「バイト前まででいいから、頼む!つか、もうお前ん家つくから」

困惑するをなんとか言いくるめ、とりあえず外へ出られるよう告げたときだった。

「あ・・・」

の小さな声が聞こえたと思った次の瞬間、ガタン、バタンと凄まじい音がスピーカーから響く。
あまりの音の大きさに陽介は受話を耳から外し、それをじっと見つめた。
バタンという音が扉の向こうで聞こえたときには、自転車を放り出して玄関に向かっていた。
ドッドッと今にも爆発しそうな心拍音に、蝉の鳴き声が交じり合ってぐるぐると体の中で廻っている。
嫌な汗がドッと噴出したことで、ドアノブを握る手も滑り、何度もノブを回す羽目になった。
それさえも煩わしくて、思わず舌打ちしたところで玄関が開いた。

無用心だとどこか遠いところで思いつつ、飛び込んできた光景に陽介の目が極限まで開かれた。

玄関入ってすぐの階段。その下、玄関入ってすぐの床には、手足を投げ出したの姿。
首があらぬ方向に曲がっていて、グッタリしていて、それで、それで・・・・・・?

「ほら、夢なんかじゃねえだろ?」

その声にはっとして顔を上げると、リビングに続く廊下に一つの影。
それが近づくにつれ、俺は一歩一歩引き下がる。
の下まで来るとそいつは、俺から彼女に視線をやり、黄昏色に染まった瞳を細め哂った。

「認めろよ、は死んだんだ」

ニヤニヤ哂う自分が、これほど嫌な奴だったなんて思ってもみなかった。




覚醒するようにパチリと目が醒めた。
蝉の鳴き声が煩く、ジッとりとかいた汗がベタついて気持ちが悪い。
けれど今の陽介に、そんなことを気にする余裕すらなく、携帯を引っつかんで飛び起きると、身支度もせず家を飛び出した。

子どもの頃好きだったサイダーのような色の空。
蝉が大合唱をしていて、耳を塞ぎたくなるほど煩い。
全速力で自転車を漕いでいるのに、ちっとも涼しくならなくて汗が止まらない。
激しい運動をしてるせいで、心臓がドクドク脈打ってすごく苦しい。
けどそれはきっと、そのせいだけじゃない。

!」

何度目かなんて分からない、はっきりしているのは、が死ぬこと。不幸な事故で死んでしまうことだ。
俺はただその死を呆然と眺めているだけで、何もできない。
その何もできない無力な俺を嘲笑うかのように、あいつが姿を現す。
むこうの世界で見た、俺。シャドウが夢なんかじゃないと、哂うのだ。

「ぜってー、死なせるか!」

死ぬのを分かっていて、むざむざと死なせてたまるものか!
鮮やかな赤と、むせ返るような血の香りが蘇り陽介はきつく被りを振った。
絶対に助けてみせる、を死なせたりなんかするか。

家まで押しかけて、まるで自分の家のように玄関を空け、階上へ。
!と彼女の名前を呼んで部屋の扉を開けると、雑誌を手に目を見開いている彼女の姿が。
生きている。だがしかし、油断はならない。
先ほど見たのは、彼女が自宅の階段から転落死した場面なのだから。

「よよよ、よーすけ?!何やって、てか、な・・・わあ?!」

彼女一人で階段を下りさせるわけにはいかない。
膝裏に腕を入れ、背中に手を添え抱きかかえる―所謂お姫様抱っこというもので、彼女を抱きかかえる。
は不安を滲ませ、陽介?!と名前を呼んだ。
彼女が不安になるのも重々承知している。何せ、不法侵入した上誘拐までやろうとしているのだから。
けれど今は、とにかく今は大人しくしてて欲しい。
だってこのままいくとは・・・・・陽介はもう一度かぶりを振って、彼女と視線を交えた。

「頼むから、今は大人しくしててくれ」

後で全部話すから。そう意味を込めて、の漆黒の瞳を見つめると納得してはいないだろうに。
けれど心得たとばかりに、彼女はコクリと首を縦に振った。
慎重に階段を下り、玄関でが靴を履いたのを見届けると、彼女の手を引っ張り外へ。
自転車の後部に乗せ、自身もサドルに跨っての手を自分の腰にあてがった。

「しっかりつかまってろよ?!」
「うん!」

首だけ後方に向け声を荒げると、戸惑っていたの手がしっかりと腰に廻った。
それを確認し、陽介は地面を強く蹴ってペダルを漕ぎ出した。

「陽介!どこ行くの?!」
「俺ん家!着いたら説明する!」

俺の家も安全なのか・・・・?いや、分からない。安全な場所なんてないかもしれない。
けど、あのまま家にいたってどうなるか分からない。
なら、一緒にいてなるべく回避できるよう助けてやる方がよっぽどましだ。
交通量の少ない道を選んで、遠回りに遠回りを重ねて、もうそろそろ家に着こうというときだった。

「きゃっ」

小さな悲鳴と共に、彼女の白く細い手が腰から離れていくのが見え、俺は慌ててブレーキを踏んで。

!」

振り返って叫んだときには、彼女の体は後ろから迫っていた車の前に投げ出され。
よ う す け
ブレーキ音紛れ声は届かなかった。けれど、彼女の口は確かにそう象った。
鮮やかな赤を撒き散らし、ヒラリと一枚の紙のように舞う彼女が地面に叩きつけられたとき、まるで花火のように、血が地面に広がった。

「死んだな、

唖然とする俺の耳に、奴の声が届きあのいけ好かない笑みが視界に入る。

「また、死んだな」

可笑しそうに告げるアイツに、俺はただ眩む空を見上げ目を閉じた。